(写真・神奈川新聞社)
交通事故で肩から下が自由に動かない男性が、法律家を目指して横浜で司法修習に励んでいる。事故後、「同じような境遇の障害者をサポートする弁護士になりたい」と一念発起し、難関の試験に合格。重度の後遺症と闘いながら、新たな目標に向けて歩み始めている。
電動車いすに乗り、「J」をかたどった修習生のバッジを胸に輝かせるのは、菅原崇さん(42)。農林水産系の学部を卒業し、大手食品メーカーで商品開発などに携わってきた。部下を抱えながら仕事に打ち込んでいた34歳の時、歩道を歩行中に後方から乗用車が突っ込んできた。
頭部や背中を強く打ち、約1年にわたり入院。警察からは「命を落としてもおかしくなかった」と告げられた。リハビリに励んだが重度の障害が残り、肩から下が著しく不自由になった。外出先や自宅で常に介護が必要になった。
勤務先と話し合いを重ねたが、事故前のように働くことは難しかった。ただ、「生きていることはできた。やれる努力は尽くしたい」と前を向いた。友人から「会社員時代に培ったコミュニケーション能力や理系の知識を生かせるのでは」と助言され、弁護士に目標を定めて退職。自宅から近い横浜国立大法科大学院の門をたたいた。
事故に遭って気づいたこともあった。障害者手帳の交付や介護事業所との契約など、法制度の知識が求められる場面に多く直面。「絶望のただ中に置かれているにもかかわらず、いろいろな人に相談をしなければ解決できない問題がいくつもあった。当事者を支えられる弁護士になりたい」との思いを強くした。
とはいえ、法曹の資格を得るための司法試験は最難関の国家試験。大学で法律を学んでいない人が中心の未修者に限れば、ここ数年の合格率は10%台にとどまる。加えて、障害のハンディもあった。筆記ができないため、音声入力によるパソコンでの受験が認められたが、六法全書は介助者にページをめくってもらわなければならない。体のしびれも常にあり、4日間に及ぶ試験日程は体力的負担も大きかった。それでも大学院の先輩の指導もあり、昨年の試験で一発合格を果たした。
昨年末から横浜で司法修習生となった。障害者の権利擁護に力を入れている法律事務所に配属された際は「介護の現場から行政の施策にまで関わる弁護士の姿を見て、職域の広さを改めて感じた」と、仕事のやりがいを覚える日々だ。
修習期間は今年末まで。菅原さんは「事故や障害の当事者となったことや、理系の前職での知識といった幅広い経験を法律家として生かしたい」と、新たな人生の目標にまい進している。