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(写真・神奈川新聞社)

1912年に英国の豪華客船タイタニック号が沈没した翌月、同国にいた日本人船員が母国の同僚に宛てた絵はがきが見つかった。「氷塊ノ為ニ舩(せん)底を破壊セラレ沈没セル」と生々しく記していた。専門家は「世界一の巨船が沈没するとは信じられないという驚きを、絵はがきという視覚情報を使って身近な人物に伝えたのでは」と注目している。

 

絵はがき収集家の笠原喜保さん(70)=川崎市宮前区=が所蔵するコレクションの中から発見し、日本郵船歴史博物館(横浜市中区)に分析を依頼していた。

 

送り主は、欧州航路に就航していた日本郵船の貨客船「三島丸」乗組員の池田武英氏。表の宛名面にはタイタニック号の沈没、被害の状況を「最初の航海での不幸な難破」などと説明した英文が印刷されている。沈没した翌月の12年5月15日付で、ロンドン市内を流れるテムズ川にあるビクトリア・ドック郵便局の消印が押されていた。

 

池田氏は同月9日にビクトリア・ドックに近いロイヤル・アルバート・ドックに入港し、すぐにこの絵はがきを入手したらしい。裏面には、波を切って悠然と航海するタイタニック号の絵がカラーで印刷されている。

 

宛先は日本郵船小樽支店に勤めていた野崎慶太郎氏。池田氏は「先ハ記念の為メ御見ニ掛ケ候(まずは記念のためお目にかけます)」とも記し、事故から受けた驚きを取り急ぎつづっている。

 

この沈没事故は、日本では数日遅れで新聞を中心に報道された。一方で船影の映像資料は乏しかったと考えられ、走り書きの筆跡から、笠原さんは「色鮮やかな絵はがきを受け取った野崎氏に、巨船の迫力が伝わったことだろう。日本に現地からの情報をいち早く届けたい思いが込められていたのでは」と推測する。

 

「遠く離れた北海道の小樽支店でさえもタイタニック号という豪華客船の就航は大きな話題を呼んだのでは」と想像を巡らせるのは同館の吉井大門学芸員。「手紙というプライベートな媒体だけに、日本郵船の船乗りとしての興味だけでなく、一個人としてその驚きを受け止め、伝えようとしたとも感じとれる」と分析している。

 

■タイタニック号

1912年4月1日に竣工(しゅんこう)。建造時は世界最大の4万6,329トンで当時最先端の技術を搭載した。米ニューヨークへの初航海のため、同月10日に英サウサンプトン港を出港。北大西洋で14日深夜に氷山と激突し、15日未明にかけて沈没。1,500人以上の犠牲者を出した。

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