記者会見で言葉を詰まらせ、ハンカチで口元を押さえる原告ら=30日、沖縄県政記者クラブ(花城太撮影)
開廷直後、裁判長は淡々と判決を言い渡した。「控訴を棄却する」。緊張感を漂わせて聞き入っていた原告席に座る原告らの表情は一瞬で落胆に転じ、ため息が漏れた。
福岡高裁那覇支部で30日にあった「沖縄戦被害国家賠償訴訟」の控訴審判決の言い渡しは、わずか1分間だった。提訴から5年。「血も涙もねーん(ない)」「涙が出る」。裁判長の退席後も原告らはしばらく動けずにいた。司法は沖縄戦被害の実態に再び背を向けた。沖縄戦から72年、戦争被害者は苦悩を引きずったままだ。
「何のために司法に助けを求めたのか」。野里千恵子原告団長(81)は怒気を込め、原告席を後にした。7月20日の最終弁論で、渡嘉敷島の「集団自決」(強制集団死)について証言した原告の金城恵美子さん(86)は、判決直後の取材に「裁判所は何を考えているのか。認められない」と憤った。
判決の2時間後。原告は沖縄県政記者クラブで会見に臨んだ。野里原告団長は「私たちはいくばくもない命。今まで口を閉ざしていたことを勇気を振り絞って訴えてきた」と裁判への思いを語った。しかし、判決は非情だった。
「国が起こした戦争を、国が責任を取らないことは理不尽だ」と怒りをあらわにし、軍人・軍属には補償し、一般の民間人の戦争被害を補償しない国に「本当に不平等だ」と訴えた。
コメントを促された金城さんはハンカチで口元を押さえて眉間にしわを寄せ、「私はもう何も言うことはありません」と苦悶(くもん)の表情を見せた。
72年間、苦しみが続く原告の間に落胆が広がった。車いすで傍聴した武島キヨさん(86)は沖縄戦中、砲弾の破片で左足などに大けがを負い、今も体内に破片が残る。ズボンのすそをめくり、左足の傷跡を記者に見せた武島さんは「戦争がなければ傷つく必要もなかった。何の補償もない」と声を落とした。
沖縄戦で祖父母を失い、自身も足にけがを負った宜保千恵子さん(81)は「戦後長い間苦しんできた上に、訴訟は6年目に入る。亡くなった仲間の無念を思うとつらい」と言葉を詰まらせた。原告は上告の方針だ。野里原告団長は「日本のゆがんだ国の方向性を正す機会にしたい」と語り、国の謝罪と損害賠償の実現に向け前を見据えた。