本島北部に現存する精神障がい者を閉じ込める「私宅監置」の跡。県精神保健福祉連合会の関係者が調査した=3月15日
精神障がい者を敷地内の小屋や自宅の一室に隔離する「私宅監置」制度。本土では1950年に廃止されたが、米国統治下にあった沖縄では72年の日本復帰まで法的に認められていた。同制度の歴史を後世に伝えようと、県精神保健福祉連合会(沖福連、山田圭吾会長)などが現存する「私宅監置」跡の保存や当事者の尊厳回復に取り組んでいる。15日、山田会長ら関係者が本島北部に残る「私宅監置」跡を訪れた。関係者は劣悪な環境下に障がい者を閉じ込め、人権を踏みにじった戦後史の暗部に光を当てたいとしている。
「私宅監置」制度は1900年に制定された精神病者監護法に基づく。本土では50年に制定された精神衛生法によって廃止されたが、米国統治下の沖縄では残った。60年に琉球精神衛生法が制定されたが、精神病床が圧倒的に不足していたため同制度は継続され、保健所の許可の下、復帰まで私宅監置が行われた。
監置所は県内各地に設置され、市町村が設置することもあったという。山田会長は「不衛生で、障がい者は動物並みの扱いだったとの記録もある。狭い場所に何十年も閉じ込められていたため、膝が曲がり、自力では立てない人もいたと聞いている」と話した。
本島北部に残る小屋は、高さ2・15メートル、横2・9メートルのコンクリートブロック製で、広さは1・5坪(4・95平方メートル)。縦120センチ、横75センチの鉄製の扉が付いており、当時は鍵が掛けられていた。食事を差し入れる横幅20センチの小窓があり、排せつのための穴がある。壁に空けられた小さな穴からわずかな光が差し込むだけで、小屋の中は昼間でも暗い。
小屋には昨年7月に亡くなった男性が監置されていた。関係者によると、戦後、軍作業に従事し大工となった男性は1952年に発病し、同年12月から66年1月まで、時折、外に出ることはあったが、ほぼ監置が続いたという。
沖福連の高橋年男事務局長は「私宅監置は復帰前の話ではなく、精神保健の今に通じるものだ。歴史を振り返り、県民に知ってもらうことで、精神障がい者の社会的孤立をなくす一歩につなげたい」と語った。
沖福連などは4月17~22日まで那覇市の県立博物館・美術館で写真展やシンポジウムを行う。監置小屋のレプリカをつくり、来観者に「監置」の実体験をしてもらうことを計画している。沖福連では、私宅監置に関する情報を求めている。連絡先は沖福連(電話)098(889)4011。(問山栄恵)