33歳の若さで1998年に急死したX JAPANのギタリスト hide(松本秀人)を偲ぶ13回忌法要が、命日の5月2日に、東京の築地本願寺(山村宗仁住職)で営まれ、リーダーのYOSHIKIはじめ、LUNA SEA、GLAYのTAKUROなど縁のあるアーティストや関係者500人が参列し、また一般献花には3万5千人(主催者発表)の多くのファンが訪れた。
築地本願寺には、早朝からすでに3,500人を超すファンが集結。hideが亡くなった時刻の朝8時52分に、所属事務所社長であり弟の松本裕士氏とともに、1分間の合掌。その後、全国からファンが集まり献花を待つ列は、正午には約2キロにおよび、隅田川を越えたという。
98年に行われた葬儀・告別式では約5万人のファンが集まり、hideの死を嘆き悲しんだ。それから12年、今回はファンにも本堂を開放しての献花が行われた。そのため、警官180人、警備員250人が警備にあたった。
法要には、X JAPANのメンバーHEATH、SUGIZO、PATAが出席したが、TOSHIは、アメリカでレコーディングのため欠席。YOSHIKIは「TOSHIの分も手を合わせました」と説明。
「hide★The 13th Memorial OurPink Spider」と題された法要と一般献花式の総経費は5,000万円。
「これからもhideさんが羽ばたいていくように」と、祭壇は、高さ9メートル、全長30メートルの黄色い翼の モニュメントが備えられ、その中心は、96年に撮影されたアーティスト写真。そして、hide愛用の、イエローハート・ペイズリーの2本のギターが置かれた。
法要では、200インチの大型画面に、hideの生い立ちからこれまでの軌跡の映像が6分間にわたり流された。
その後合掌、山村住職による読経のあと、親族による焼香、そしてYOSHIKIが、代表焼香に姿を見せた。親族、関係者に深々と一礼ののち、遺影のhideに向きあい焼香し、YOSHIKIはしばし合掌したまま祭壇前にたたずみhideに語りかけるように、故人を偲んでいた。そしてしばし遺影を見上げた。
松本家代表の挨拶にたった弟の裕士氏は、「12年前の5月2日、突然、目の前から消えてしまい何をどうしていいかわからなかった。ただただ悲しく悔しくもあり、辛い日を送りました。しかしながら、たくさんの方に助けていただき、またファンの方々の皆さんの悲しい顔を見たときに、このままではいけないと思いました。ファンの方に肩身の狭い思いをさせてはならないと、今日までガムシャラに辛いときも歯を食いしばって突っ走ってまいりました。たくさんの関係者の皆さんのおかげで13回忌が迎えられました。ありがとうございます。これだけの人に来ていただけるのは嬉しいです。この後、ファンの皆さんによる献花が行われます。今までhideを支えてくださりありがとうございます。そして最高のロックスター・hideを応援してください。宜しく御願いいたします」と、参列者に挨拶。
法要後の山村住職の法話では、「12年前に集まったファンの方々が、ゴミの後片付けをすべておこなっていたことを町の人から聞かされて、その礼儀正しさに葬儀の在り方を痛感させていただいた。まるで昨日のことのようです。またご縁をいただき法要をつとめさせていただいたことに感謝する」と、語り、13回忌法要は無事に終了した。
法要直後、弟の裕士氏が会見にのぞみ、「(12年前、兄が)亡くなったと聞いたとき、当日はドッキリかと思い信じられなかった。X JAPAN再結成と、時の流れを感じています。そこにhideはいないけれど、頑張ってファンを、みんなを喜ばせてあげてほしい。兄は、ロックスターであり、弟の私にとっては、今もって優しい怪獣、モンスターです。子供のころ、母が作った餃子が大好きで、兄と一緒に100個以上も食べていたことを思い出しますね。小さいころはすごく食べる人でしたよ。そして優しいジャイアンのような兄でした。Hide自信は、X JAPANがあるから、オレがあるんだ! といつも言ってましたし、2000年に再結成の話もしていました。兄は素晴らしいロックスターです。そしてロックスターとしてhideは永遠です。私そのために私たちができることをやりつづけていきたいです。今日の13 回忌は一つの目標でした。そしてhideを語り継いでもらうために、世界に発信していきたい」と、やんちゃな優しいモンスターのような兄への想いを語った。
12年を過ぎてもなお、やさしいモンスターhideのカリスマぶりが健在であることを、夕方まで続いた一般献花に訪れた、35,000人の世代を超えた長蛇の列が物語っていた。