[E:note]僕も結局文筆業で、ハコさんは言葉を生み出す作家として大先輩になるわけですが、いますごく嬉しいのは、ハコさんの言葉が僕の思っていることそのままですから。年は全然関係ないと思います。だって、100年経った人からしてみれば、いま、僕と高校生ぐらい年齢が離れていることは関係ないですから。そういう意味で考えたら、ハコさんの歌も100年経った人が聴いていてくれたりということじゃないですか。09
山崎 人は逝っても、じいちゃんとか、特に田舎にずっと生きていて、私はおじいちゃんとか 、おばあちゃんに何も教えられてないけど、わかる。そういうのって不思議よねえ。そういうことをふと思ったりする。この土の感触とか、そういうことでわかっていくんだよねえ。土が湿っていて、雨を吸っているとか、そういうふうに。何の説教もないけど、「これが全部コンクリートだったら嫌だよね」とか思う。自分のネットにも書いたけど、流行もないし。いまそういうのが流行よねと言うけど、流行がないんだよ。昔のじいさんみたいな人がいたほうがいいよね、と思うときがありますよね。心に感じているだけなんだよね。だから、私は極端に声帯とかで声が出ないということがあるかもしれないけど、ポンとなくなっても歌いたい。気力で動かすぞという奴がいるとしたら、それぐらいのことを思っているんですよね。だから、死んでも歌うぐらいのことを思っている。何とか可能にしたい。それぐらい、そのことに関しては執着している。命にこだわっているとしたら、生まれてきたということ。ずっと32年、いろいろなことがありながらやり続けてきました。私は、歌手としてもほんとに反省するし、皆にも反省してほしいとか言うんじゃない。最初のフォークのやり方で30年経ったいまもまたやろうとするから、事務所も素人から来ているのを見ているから、結局、タレントが被害者になったりする。それはやっぱりいけないから反省して、新しい頭で「うちはちゃんとしたい」とか、それがタレントを生かす道でもあったのに。だから、捨てられてポンで、「もうだめだね」で消えて当然。だって、10年間も事務所がないんですよ。普通は消えると思うけど。でも、歌をちゃんとやっていたから。最後は、道端で歌えばいいという手があるわけです。もっと最後は、部屋で歌えばいいんですよ。プロを辞めればいいわけで。歌いたければ、どこでも歌えるんだけど。
[E:note]ハコさんの歌は誰も真似できませんから。絶対に忘れないし。
山崎 不思議と、ひばりさんも、次のひばりは出ないと思うけど、次のハコはいないんだよね。だから、まだ勝てるなと思う。それと、ハコにしかできなかったというのをやろうとしているからというのもある。逆に、「歌えないわよ」じゃなくて、『望郷』とかの難しいのをカラオケで歌われると嬉しいんです。こんな難しいのを、よく歌ってくれるねって。それで、主婦の人たちと共存して、「あなたと同じことをしている」という。それが昔は嫌いだったけど、いまはすごく好きなんです。変わった人間である必要はどこにもなくて、普通に横断歩道を歩いて来て、見失うぐらいの私で、本当にわからなくて。ステージに立って上向いたときだけ、歌っているときだけ「何、これ」と思われればいい。降りたら、「酒も一滴も飲めません」みたいな。普通の人も笑うような私でいいと思う。歌うときだけ別人で。
[E:note]あのときに挫折していた大学生とか浪人生は、いま社会の中心ですよね。
山崎 中心ですよねえ。それが、皆、隠れているんですよ。この間も、NHKの上役の人が観ているみたいな。この間、ジャーナリストの有田さんが見えたんですけど、嬉しいですよね。最初にお会いしたときに、「質問があるんですけど」と来て、「ええ?」と思ったら、「どうして暗いと言われているんですか」とか言って(笑)。それでわかりやすく、「私も籠の鳥みたいに入っていて、外に出ると毒ガスだと洗脳されていたんです」と言ったら、一挙にわかった(笑)。いま、ハコの歌は面白くはなっているんですよ。おじさまたちが世に知らせなかったのは間違いだ、みたいに皆が言ってくれて。
[E:note]なぜ、山崎ハコを聞かないのかと思っているのかということが。
山崎 そうですね。
[E:note]ありがとうございました。

(撮影/桑原 靖  インタビュー/鈴木 利宗・田原 章雄)

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