――しばらくぶりのアルバムということで、今回は「絆」がテーマということですが、タイトルも、『Eternal Chain』。
image押尾 そうですね。
――このテーマというのは、押尾さんの中にあったことだったんですか。
押尾 やっぱり長いことインディーズから続けてきて、今、僕がここにあるのは、本当に、全然離れた国でね、僕の曲を演奏してたりっていうことにつながっていってるんだなっていう。僕よりももっともっと未来の人たちに、僕が受け継いできたように受け継いでもらいたいっていう、そういうふうにつながっていっていることが、永遠につながっていってるっていうのが素晴らしい。それをテーマに曲ができないかなと思って、この『Eternal Chain』というタイトルにしました。
――全体が十六曲ということで、始めの「Prelude ~sunrise~」から、「Coda~sunset~」まで曲が流れていくんですけど、この十六曲の中で、押尾さんが作っていく中で意識されたこととか編成とか、そういうのは何かおありだったんですか。
押尾 そうですね、まあ、「絆」っていう部分では大事にしたいなっていうのもあったんですけども。やっぱり今までのギター一本の録音っていうところから、もう一つ、こう、ずっとヘヴィー・ローテーションっていうか、ずっと聴いてもらえるようなものって言いますか、僕の中でギター一本の音楽っていうのは、本当にピュアな、本当にギター一本だけを録音してる、そういうCDしかあまりなくてね。で、なんかもっとこう、ギター一本なんだけど、より効果的なCDというか、作品としてなんかこう、より効果的な方法はないかなと。録音の方法を、前作のね、『Tussie Mussie』から作り上げてきて、今回に至ったっていう感じなんですけど。まあ、初めて聴く人は多分ギターの音楽にしか聴こえないんですけどれども、僕の中では、より新しいものが見え始めてきたかなっていう感じなんです、このアルバムで。
――日本中のギタリストというか、ギター少年たちの、今や憧れの押尾さんだと思うんですね。この間も、お店のギターが全部押尾さんのモデルでこう、飾られていたりとかされていて、我々も、すごい影響力があるんだなと実感したんですけども。すごく独特の演奏方法じゃないですか。パーカッションでありながら、音はすごく繊細であって。ご自身がこの演奏スタイルを確立する中で、特に影響を受けたギタリストの方は?
押尾 一番影響を受けたのは、マイケル・ヘッジスっていうギタリストですね。それはもう二十年前の、いわゆるヒーリングと呼ばれた、ウィンダムヒル・レーベルっていうのがあって。その中に登場したギタリストなんですけど、それはやっぱり衝撃的でしたね、ギターを座って弾くんじゃなくてね、こう、立って弾いて、ステップを踏みながら演奏をしている姿が本当になんかポップスタイルでかっこいいなと思って。それこそ本当にギターをドラマーが叩いてるっていうようなんです。そのマイケル・ヘッジスから派生したギタリストもたくさんいて。一番影響を受けたのはそのギタリストですね。
――ご自身が一番最初にギターを握られた時っていうのは、どういう時だったんですか。
押尾 一番最初は女の子にモテたいっていう(笑)。もう本当に一番フォークですね、最初は。本当にもう、それこそ松山千春のギターを弾きたい。だから、本当にニューミュージック、まあ、フォークっていうよりはニューミュージックフォーク、歌謡曲フォークなんですけど、それでも僕の中ではやっぱりフォークソングで。まあ、松山千春とか中島みゆき、アリスとか聴いて、一番リアルタイムだったのが長渕剛だったんですよ。
――意外ですね。
image押尾 でも、ギターの音楽っていうのはそれしか知らなくてね。で、そこからは、フォークソングっていうのをもっと後追いで、先輩とかに教えてもらって、かぐや姫とか、井上陽水とかを聴くようになって、もっと探っていって、関西フォークとか、中津川フォークジャンボリーとか、その辺の。あ、こんなのもあったのかって調べていくと、中川イサトっていうギタリストがいて。その人が僕の師匠なんですけど。で、その方がやっぱりインストルメンタルの世界。僕の音楽へのイメージを変えましたね。とても衝撃的でした。インストルメンタルっていうのがイサトさんしかいなかったので。で、やっぱり大阪でギター教室をたまたまやってて、僕は習いに行って。で、先ほど出た、マイケル・ヘッジスさんとかを教えてもらって。
――では、やっぱり関西フォークとか、ディランセカンドみたいに、メインでヴォーカルがいて、リードギターの音を入れるとか、ああいう感じのギターのほうもやられていたんですか。
押尾 まあ、どちらかと言うと、僕はそこまで行けなくて、どちらかと言うと、やっぱり年齢的にはチャゲ&飛鳥と長渕さんがすごい好きで、そっちのほうをやってたんですけど。で、もうどっちかで極端でしたね。チャゲ&飛鳥、長渕剛やってるか、イサトさんやってるかっていう感じでした。
――すごい極端ですね。まあ、日本人って、実は世界的に見ても、すごくギターが好きな国民だと思うんですよ。
押尾 そうですよね。
――基本的にフォークもあるし。で、わりと子どもの時からギターをやってる人がすごく多いじゃないですか。うちみたいな雑誌だと、やっぱりお母さんが子どもにギターをやらせるっていうところもあると思うんですけど、まあ、ファンのところも(?)そうなんですけど、そういうお母さんたちに、今すごく受験とかいろんなものがあるんですけど、その中であえてギターを子どもにやらせるみたいなことはどうですか、押尾さんから勧められることというか。
押尾 うーん……、まあ、何かやるっていうことはすごくいいことだと思うんですよね。まあ、ギターは難しいとか、そういう先入観も、なんかやっぱり、「女性自身」を読まれる女性の方なんかはやっぱりお子さんお持ちだったら、コミュニケーションツールになるっていうかね、一緒にギターを習うとかね、やらせるっていうんじゃなくて、「やりなさい」じゃなくて、なんか一緒に楽しむっていうのが。親が弾いてると、なんか子どもも興味を持ってきたりする、ちっちゃい子だったらね。
そういう、僕のファンの中にも、やっぱり同い年の、僕と同世代のお父さんが、僕のことが好きでギターを練習してたら、その子どもが見てるわけですよ。で、その子どもが見よう見真似でギター弾いてると、その子どもが親を抜いてしまうっていうか。「最近うちの子がうまいんですよ、ギター」なんて(笑)。で、やっぱり本当にそれこそ、韓国の十四歳の子じゃないですけど、本当にもう十歳ぐらいの子やなんかでも僕の曲が弾けたりとか。そうなると、やっぱり今までギター弾いてたけど、お父さんがもうギターちょっと置いて、息子のサポートに回る。そんなこう、お話なんかよく聞くんですけれども、それはすごい素晴らしいなっていう。
なんかギターを練習する、うまくなるっていうのももちろんそうなんですけど、なんかこう、家族のコミュニケーションにできるものなのかなっていう、今はそういう感じがしますね。やっぱり今はもう携帯ゲームとか、とにかく何でもダウンロードで、一人で全部できるでしょ。トイレの中で全部解決してね、個室で。だから、本当に個人部屋があったら、もうそこで解決してしまうから、家族の会話がだんだんなくなっていくんですね。だから、やっぱりギターとか、こういうアナログなものがあると、どうやって弾いてるのかなっていう。すごい大事、今特に大事なのはそんなことのような気がしますね。
――そういった意味合いも含めてなんですけど、押尾さんのギターの演奏っていうのは、もう今で言うと、YouTubeみたいなものがあって、それこそ日本だけではなくて世界中でワールドワイドにいろんな人がそこにアクセスして、いろんな方が見て、もうアクセス数なんてすごいじゃないですか。しかもコメントもいろんな世界の人が書かれてて。その、ご自身がやられてるアナログな部分と、逆にそういうところで世界にも広がって行ってるというのをどのように考えてますか。
image押尾 いや、本当に素晴らしいと思いますね。僕に影響されてたっていう海外のギタリストも聞いたことがあるしね。やっぱり。で、その、僕に影響を受けたギタリストとか、二十四歳とか、そんな子なんですね。そういう子って、やっぱり逆にYouTubeをすごく利用してる。自分でアップロードするんですよね。「今日はこのレクチャーだ」とか言って惜しげもなくね。僕らはやっぱりYouTubeの存在は知ってるけど、なかなかアップロードまで行かないんですよ。見るけど、見たりはするけど、自分でこう、じゃあ、ギターテクニックをアップロードとかっていうのは、あんまりはしないんですよね。で、若い子たちは、それをこう、自分をすごく宣伝するんですよね。自分を売り込もうっていうんじゃなくて、自分で全部もうアップロードして、もう全部いろんな人に聴いてもらって。で、そこでMySpaceかなんかでこう、友達を作って、ネットワークで。ていうのがやっぱり主流なんで、本当に僕はそこまでついていけないですけど、その広がり方はすごいなと。そういうところで「押尾って知ってる?」、「知らない」、「これ、聴けよ」とかっていう広がり方っていうのは、本当にワールドワイドに広がってるから、僕も知らない所で、「すごく盛り上がってますよ」って言われるとね。
――なんかすごかったよね。まず、我々が見て、押尾さんのアップされてる画像がこんなにあるっていうのに驚いたんですけど。アクセス数がとにかくすごかったんで。
――押尾さん自身のレクチャー動画とかも。
押尾 そうなんですよ。今いっぱいね、本当はだめなんですけどね。
――そうですね、著作権法で言ったら、あれですよね。
押尾 あかんちゅうのに、もう。まあ、でも、それはいいとしても、やっぱりそういうのがこう、ね。その著作権、権利の問題とかもあるんでしょうけど。そうやって広がるっていうのはやっぱりね、権利を抜きにすると、こちらにしたらありがたいことで、やっぱり広がるっていうのは。だから、あのう……、やっぱりそこからこう、つながっていってるのかなっていう。やっぱりその韓国の十四歳の男の子、ソン・ヨンハ(Sungha Jung)君っていうんですけど、彼もそうだし、やっぱり。で、やっぱり実際韓国に行って会ってきたんですけど、やっぱりギターで食べていくのは難しいと。で、すごく切実に、もうお父さんとかも悩んでて、YouTubeで見てると、なんかこううまいな、上手だなと思ったんだけど、実はやっぱりなかなかギターでは食べていけないっていうのがあるので。
――確かにそうかもしれなんですね。特に韓国というのは、日本よりも難しいのかもしれないですね。どうなんでしょうね。音楽の傾向って、世界から(?)すごくあると思うんですけど。
――実際に一緒にライヴやられてましたよね?韓国の少年の。
押尾 そうなんですよ。そのソン君と一緒にやろうと。
――韓国語って喋られるんですか。
押尾 いや、全然喋れないですよ。もう教えてもらって、片仮名で書いたやつを。やっぱりこう、まあ、日本語分かるんですけどね。日本語で喋っても通じるんですけど、でも、ほら、韓国語で喋った時のリアクションが、「おお~、喋ってる」とか言って(笑)。
――韓国の公演って、だいたいどのくらいやられるんですか。
押尾 いえ、初めてなんです、今回。初めて行ってきて。
――すごい盛り上がってましたね。
押尾 もう見た目は僕たちと全く一緒じゃないですか。だから、日本でやってる感じとそんなに変わらないですけど、盛り上がり方はやっぱり海外でしたよね、やっぱりね。「やっと来た、韓国に」みたいな。あ、こんなに違うんだって。やっぱり日本でやってると、そういう、また次も観れるからっていう余裕があるから。でも、韓国はやっぱり「もう次いつ来てくれるの?」みたいな、そんな感じですね。
――押尾さんというと、オープン・チューニングで、我々もちょっとそのお話を是非聞きたいと思ってたんですけど、一番最初にオープン・チューニングにされたのはいつ頃から?
押尾 やっぱり、イサトさんが一番最初かな。中川イサトさんの曲、インストルメンタルからですね。
――いわゆる通常のオープン・チューニングって、何だっけ、呼び方。D、何だっけ?――DADGAD(ダドガド)。
――DADGAD。あのオープン・チューニング、例えばレッド・ツェッペリンなんかもやられてたみたいな、そこら辺は、ご自身でどこから?こちらが向いてるっていうのがあったんですか。

押尾 僕の場合は、DADGADっていうのは、また違うギタリストから知ったんですけどね、まあ、歴史辿っていくと、レッド・ツェッペリンのジミー・ペイジだとかが使ってるとか、あと、アイリッシュ・フォークなんかでも使われたりとか。勉強していくと、結構面白かったりとかしましたね。あと、ハワイアンのスラック・キーなんかのチューニングもなんか教えてもらったことがある。(ギターを弾く♪)こういうのをチューニングで。(ギターを弾く ♪)
――素晴らしい。■まで弾かせてもらって。
押尾 いいのをやろうと思って。
――目の前ですよ。
――いやあ、ちょっと感動してしまって言葉がないですけど。すごく、例えば今パーカッシブ奏法について、ちょっとお聞きしたんですけども。押尾さんの場合、それもすごく独特だと思うんですけども、例えば、日本人なんかだと、■とか、ああいう人たちがバーっとこう、こういうので叩きながら弾くっていうイメージがあるんですけど、またちょっとソフトでイメージが、もう押尾流といっていいと思うんですけど。ああいうものをご自分の中で作り上げていったというのは、どういうところから?

押尾 そうですね、まあ、そういった奏法をする方のは取り入れるんですけど、やっぱりそこにもうちょっとこう、日本的なニュアンスが僕には入ったんですね。
――それは「和」という?
押尾 まあ、「和」もあります。やっぱり、実際普通にこう(ギターを弾く♪)これに対してこう、こういうの入れると、なんかこう、(叩きながらギターを弾く♪)、なんか全然リズム感があって、更に■(スネ?)と入れると(ギターを弾く♪)、弾いててこう、これでも十分楽しいんですけども、これが入ると更に一人で弾いてて楽しいみたいな(ギターを弾く♪)。
――サブセッションみたいな感じが。

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