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連載第30回 アメリカには夫婦の数だけ『家訓』がある

「廊下は、決して走るべからず」
ユアサ家の家訓にそう書き記そう、その瞬間心に決めました。

 

駆け出し弁護士のユアサが、所用で訪れた、著名政治家たちを生み出してきている名門コロンビア法科大学院から至急の会議に向かおうと焦っていたときのこと。
伝統の校舎の中のやや短めの廊下をとんでもないトップ・スピードで突っ走り、直角のコナーも一気に曲がるつもりだったユアサの前に突然現れた女性3人組。あっ、という間もなく奇跡的に、国際弁護士ユアサは彼女たちの「美の衝撃波」に押し返されるように急停止しました。正確に言えば、先頭を歩いていた女性の美しさに気おされていました。
彼女の名前は、キャロライン・ケネディ。
正面衝突しかかった国際弁護士をまだ20代の大学院生だった現アメリカ駐日大使は怒るどころか、「プリーズ(どうぞ)!」と言って、道を譲ってくれたのでした。

 

まさに〝高潔の人〟キャロライン!
ユアサは感動しました。と同時に、顔から火が出るほど自らの非礼を恥じました。
猛烈な早口でユアサは謝罪し、彼女に道を譲り返しました。温かな人柄の彼女は躊躇していましたが、2番目にいた小柄な女性が朗らかに笑いながら先頭に立って歩き始めました。つられるようにしてキャロラインも3番目の女性と歩き出し、3人は、図書館の方向に去っていきました。
見送った後、すぐさま角を曲がり、門を目指し歩きだしたユアサはホッと胸をなでおろしながら、「廊下は、決して走るべからず」と誓った次第なのでした。

 

アメリカでは、夫婦や家族の数だけ家訓があるといわれます。
ケネディ家の家訓といえば、「公共への献身」「人々の自由と平等を実現するため、全力投球の毎日」という言葉がぴったりくると、国際弁護士ユアサは断言します。

 

そしてもうひとつ、ケネディ家の家訓としてしっくりくるのが、「言葉や詩、文章を大切にする」であると言えるでしょう。
キャロラインの父・ケネディ元大統領の文才は有名ですが、母・ジャクリーンも著名な編集者でした。夫の演説には、彼女がアドバイスした大切な言葉と文章が多数含まれているといわれています。言葉を大切にした夫妻が生み出した名演説が、世界の政治史とともに夫妻の固い絆の歴史にも刻み込まれているわけで、まさにケネディ家の高まいなる家訓の尊い証左と言えるのです。

 

一方、家訓をちょっぴりユーモラスな角度からみると、オバマ家には、「記念日のタイミングを逃しても、大目に見る」という一条が含まれているようです。
ちなみにそれは結婚記念日で、よりによって1年目の記念日でした。さらに、それをうっかり忘れていたのは若きミシェル夫人のほうでした。愛妻ミシェルのこの大物ぶりには、さすがのオバマも驚いたようです。

 

アメリカを代表する名門メロン家の家訓は、最近103歳で惜しまれつつ世を去った(家族からは「グランドバニー」の愛称で呼ばれた)人格者レイチェル・メロンが率先して実践していた「親友を大切にする」であると言えます。
レイチェルはキャロラインと親交があることでも有名で、植物や造園の専門家として、「ジャクリーン・ケネディ・ガーデン」の輝かしい足跡をホワイトハウスに残しています。

 

さて、ウォール街に目を向けると、ここでもアメリカ的な様々な家訓がありますが、屋台骨的存在感を持つロックフェラー家に特徴的な家訓と言えば、「大変な時代でも、明るく振る舞う」というものがあります。
ウォール街で長年激戦を生き抜いてこれたのは、こうしたポジティブな考え方と家訓のおかげでもあろうと思われます。

 

ちなみに、そのロックフェラーをよく知る弁護士たちが、クリスマスの頃に仕事仲間千人超を全米から招待し、ウォール街の最新トレンドあふれるミュージカルを演じる伝統が半世紀以上続いてきています。
国際弁護士ユアサはその恒久出演者の一人で、しかもフレッド・アステア・ダンス・スタジオでの社交ダンス大会優勝の経歴に基づき、この弁護士ミュージカル史上ただ一人のソロ・ダンサーの役回りも、歌やセリフとともに担っております。

 

それでは、西海岸ではどうでしょうか。
ITの天才ビル・ゲイツ家の家訓と言えば、その筆頭は「子供たちの将来の職業などは、子供たちに自由に選ばせる」であると国際弁護士ユアサは確信します。
ITに限定することなく、子供たちの選択の自由をゲイツ夫妻は大切にしています。
いわゆる自由放任とは逆に、子供たちの面倒をよく見ながら、選択の自由と子供の自主性を大切に育てたいという夫妻の想いの反映のようです。

 

これはビル・ゲイツの人生の選択そのものでもあります。
ビルの父親は著名な弁護士ですが、息子は弁護士にはならず、また父の業績とみなしていた慈善活動にも、若い頃のビルはまったく関心を示しませんでした。世界的で偉大な慈善活動へビルが向かうのは、彼の人生で言えば後半からにすぎないのです。

 

ところで、どこそこの家族というよりも、ウォール街自体を一つの家族と見立てた家訓のような木彫りの文字板が、あるビルの会議室の壁にかかっているのにユアサは驚いたことがあります。
「人は、沼で腰までアリゲーター(ワニの一種)に食いつかれていると、自分の本来の任務が、沼の泥をかき出すという仕事であったことを忘れがちだ」
24時間絶え間ない、現実のウォール街のすさまじい仕事環境と激務の空気を表す、仕事の鬼たちの「家訓」といえるでしょう。

 

話は少し飛びますが、家訓からの連想で映画館の話をします。
当地アメリカの映画館でハリウッド映画を見ていると、ジャンルを問わず映画のセリフで家訓にそのままなりそうなセリフがあることに気が付きます。

 

映画評論家でもあるユアサの一口メモとして、家訓のようなニュアンスを持つセリフがあると、そのシーンが一気にアメリカ的な連帯感と精密なリアル感を観客に届けるのです。
そういう場合の観客の反応が実に温かく奥深いと、ユアサは長年の体験で読み取ってきていて、このあたりにハリウッド映画が長年蓄積してきたノウハウの具体例の一端がある、と実感しています。

 

同時に、映画や小説とは違って、現実のアメリカ社会で家訓というものは、一組ずつの実在する夫婦に端を発し、夫婦内にとどまらず世間に対しても発信され、ポジティブな影響を社会全体にしばしばもたらす、とユアサは実感しています。
だからこそ、アメリカは夫婦を中心とした社会であり、すでに記した、アメリカでは夫婦の数だけ家訓があるという点が、実に深い社会的意味合いを持つわけなのです。
なぜなら、アメリカ社会では、家訓は、夫婦の人生の共同作業だからです。

 

ただ、そんなアメリカの家訓であっても、時として男性中心主義に傾きがちな歴史をたどってきています。
そこで、ユアサ個人の家訓に関する信念を言えば、「家訓とは、決して夫中心主義とならないように何事もすべて夫婦でゆったり相談し合い、妻を立て、夫が命がけで盾となり、温かさと面白味に満ちた人生を、いっしょに一所懸命に歩むもの」であると、国際弁護士ユアサは保証します

(了)

 

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