すっかり日が短くなりました。もうすぐ冬至です。片岡愛之助でございます。
12月26日(土)まで、京都四條南座「當る申歳 吉例顔見世興行」に出演。夜の部では『勧進帳』で富樫左衛門という大役をはじめ、昼の部では近松門左衛門作『碁盤太平記』で下僕岡平実は髙村逸平太なども勤めさせていただいております。
京都南座 吉例顔見世興行『碁盤太平記』の下僕岡平、実は髙村逸平太役です!
(C)片岡愛之助
昨日、12月14日(月)は討ち入りの日でございました。江戸の昔、主君・浅野内匠頭の仇を討とうと、赤穂浪士47人が吉良上野介邸に討ち入った、忠臣蔵でおなじみのあの討ち入りの日です。
テレビでも、毎年12月14日近くになると、忠臣蔵ものの映画やドラマが放送になりますので、身近に感じておられる読者の方もいらっしゃると思います。実は『碁盤太平記』も忠臣蔵もので、岡平は大石内蔵助の下僕です。
史実としてもそうですが、忠臣蔵がこれほど民衆の心を打った理由は、自分の命を賭して主君の仇を討った、“君には忠、親には孝”という儒教精神が深く根付いた、江戸という時代背景もその根底にはあったと思います。あの芥川龍之介も心を揺り動かされ、『或る日の大石内蔵之助』という短編小説を書いているほどです。
そして、その人気を確たるものにしたのが、歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』でした。
江戸の昔は、史実や当時起こった事件をそのまま芝居小屋では上演できませんでした。芝居の世界を鎌倉時代や室町時代に置き換変えたり、登場人物も実際の人物とは名前を変えて上演しておりました。
『仮名手本忠臣蔵』も右にならえで、時代世界は南北朝の騒乱期の時代に、浅野内匠頭は塩冶判官に、大石内蔵助は大星由良之助という名前に変えられています。
三大義太夫狂言のひとつと言われるだけあって、塩冶家の元腰元お軽と元家臣早野勘平が主人公の五段目、六段目や、大星由良之介が主人公の七段目祇園一力茶屋の場などは度々上演されますので、みなさんもご覧になったことがあるかもしれません。
五段目に登場する斧定九郎は塩冶家を浪人し磊落の身ながら黒紋付姿で登場します。台詞はたったひと言「五十両」だけですが、あれほどインパクトの強いお役もありません。歌舞伎ならではの演出です。
忠臣蔵ものには、もうひとつ、明治以降に創られた新作歌舞伎にも名作と呼ばれる作品がございます。先月も歌舞伎座で上演されていた、真山青果作『元禄忠臣蔵』です。
こちらは明治以降につくられた作品ですので、登場人物は全員、史実どおりの役名です。
僕も「御浜御殿綱豊卿」の徳川綱豊卿や、「仙石屋敷」の磯貝十郎左衛門や、「南部坂雪の別れ」の大石内蔵助に意見する国学者・羽倉斎宮を勤めさせていただいたことがあります。
真山作品は長台詞が多く、演じるほうも大変ですが、それだけ勤めがいがあるというもの。これからも機会がございましたら、どんどん挑戦していきたいです。もちろん、『仮名手本忠臣蔵』もしかりです。
そして今週17日(木)放送のBS日テレ「片岡愛之助の解明! 歴史捜査」でも、この忠臣蔵を取り上げております。今回はいつもより1時間早い20時から放送の2時間スペシャルで、『~忠臣蔵315年目の真実!元禄赤穂事件の真相を追え!~』をお送りします。
浅野内匠頭はなぜ殿中で吉良上野介を斬りつけたのか。刃傷事件の背後にある、徳川家と吉良家の確執に焦点を当てます。なぜ討ち入りは成功したのか、なぜ四十七士は泉岳寺に眠るのか。番組ではさまざまな角度から、知られざる忠臣蔵の真実に鋭く斬り込みます。
どうぞご期待ください!
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(C)BS日テレ
年末の慌ただしさに体調をお崩しになりませんよう、ご自愛ください。
片岡愛之助
プロフィール
1972年3月4日生まれ。’81年12月、十三世片岡仁左衛門の部屋子となり、南座『勧進帳』の太刀持で片岡千代丸を名乗り初舞台。’92年1月、片岡秀太郎の養子となり、大阪・中座『勧進帳』の駿河次郎ほかで六代目片岡愛之助を襲名。’07年12月上方舞・楳茂都流の四代目家元を継承し、三代目楳茂都扇性(せんしょう)を襲名した。