愛する子どもに「脳死」という診断結果が出たとき、あなたは「臓器提供」を決断できるだろうか?――改正臓器移植法により平成22年7月から、15歳未満の子どもの臓器提供が可能になった。だが、施行から2年たっても、子どもの脳死臓器提供は2例のみ。WHOの指針により「海外に頼る」ことが困難になるといわれているなか、今後も国内で提供者が増えなければ”救える命”が次々と失われていくことになる……。
「あと2カ月早く、ドイツに行くことができれば、息子は助かったかもしれない……。親として悔しくて、情けなくて、子どもに申し訳ない気持ちでいっぱいです」
こう声を絞り出すように語るのは、大阪府大東市に住む森本隆さん(50)と、妻の陽子さん(45)。隆さんがふと仏壇を見やると、脇には骨壷がある。墓も買ったが、どうしても入れられず、どちらかが死ぬまでこのままにしていようと決めたという。一人息子の康輝くんを亡くして8年たったが、その悲しみは今も薄れることはない。
康輝くんは心臓病のため移植しか生きる道がなかった。移植を待っていた小学3年生のとき、隆さんは康輝くんに臓器提供について柔らかい言葉で聞いてみた。すると康輝くんは「ボクは心臓をもらわないと生きていけないんだから、何かあったとき、あげないのはおかしいでしょ。使えるとこ、使こうて。何でもあげるでえ!」と真っ直ぐに答えた。そのリビングでの父と子の会話を、母の陽子さんはキッチンで聞いていた。
隆さんはその会話で「まだ小学生でしたが、移植の意味を十分に理解している」と感じたという。そんな康輝くんに引っ張られるように、両親も脳死と臓器提供について理解を深めていった。それから2年後。一家は当時ドイツにいた南和友先生と知り合えたことで、海外での手術を決意する。11歳の誕生日を迎えたばかりの康輝くんが、両親とドイツに渡ったのは’04年2月。無事に到着し、病院へ入った。しかし翌日、病状が急変する。康輝くんの心臓が止まったのだ。
補助人工心臓を付ける手術を受けるが、意識は戻らない。3日後――「脳死」と診断結果が出た。それを聞き、陽子さんは3年前に聞いたリビングでの会話を思い出した。そして「使える臓器は、何でもあげて――」と口にする。隆さんも同じだった。「後悔はしていません。最後の最後、康ちゃんの願いをかなえることができたんですから」。
まだあたたかい体に「よくがんばったね。最後にもう1回、がんばって」と別れを告げた。膵臓、腎臓、角膜が提供された。その夜、病院上空を離陸するヘリコプターの音を聞きながら、陽子さんは思った。
「ああ、行ったなあ……。この子が人の役に立てたんやなあ。もらった人のおしっこを出してあげるんだよ。よそ見しないで、ちゃんと見てあげるんだよ……」と。康輝くんの2つの腎臓、膵臓はすぐに別の患者に、角膜はアイバンクに提供され、次の命に受け継がれた。