’90年代に文壇のワクを超えて、ワイドショーでも人気者だった志茂田景樹さん(72)は、ここ10年ほど夫婦での絵本の読み聞かせで知られている。その志茂田さんの二男の下田大気さん(36)が、芸能活動や実業家を経てタクシードライバーに転身したのが3年前。たちまち「カリスマドライバー」と呼ばれるようになり、初めての著書『タクシーほど気楽な商売はない!』(光文社)を出版し、現在はテレビにも引っ張りだこだ。

「まあ、うちの家族は空白の期間が長かったですからね。今、こうやって両親が読み聞かせをして一緒に日本中を旅したり、僕がまたテレビに出ていること自体、不思議な気もします」(大気さん)

この「空白」とは、家族の離散を意味する。10年以上も不倫で家を空けていた父・志茂田さん。その父を許せずに日本を飛び出して、アメリカから7年間も帰ってこなかった長男・順洋さん(40)。そして事業に失敗し自己破産したばかりか暴行事件を起こした二男・大気さん。家族の空白を語るとき、大気さんが思うのは母親・光子さん(64)の存在だ。

「母がいなかったら、うちは間違いなくバラバラになっていた。そう思うと、わが家で一番の名ドライバーはお母さんなんですよ。でも、なんで、うちの両親は離婚しなかったんだろう……」

光子さんが志茂田さんと結婚したのは1969年の春。3年後に順洋さん、その4年後に大気さんが生まれた。夫が『黄色い牙』で念願の直木賞を受賞したのが’80年。すぐに編集者たちと銀座の高級クラブを飲み歩く日々が始まった。夫が家を出たのは、直木賞受賞の翌年だった。「それからは、怒りと恨みのなかで暮らしていました。でも、愛人問題で離婚しようと思ったことは一度もなかった」と光子さん。

「男の子にとって父親は絶対の存在ですから、子供の前で悪口は決して言いませんでした。女性のことも知られてはいけないと思い、『お父さんは外でお仕事している』と言い続けました。それでも子供は感じ取るものです。順洋の反抗期はすさまじくて、中学生のころ私と口論になったとき、『直木賞なんかいらない』と言った言葉を今も忘れられません」

光子さんが、父親の悪口をいっさい言わない子育てを続けていることは、当の志茂田さんも承知していた。

「もし、女房が僕の悪口を言っていたら、逆に気が楽だったかもしれない。でも、こんな僕でも待ち続けて、子供たちをしっかり育て、家庭を守った。そのことに罪の意識はありました。だから家を出たといっても、ほかの惑星に行っちゃうような飛び立ち方はできなかった。みえないクビキがあった。いつか(家族のもとに)戻るんだろうな、ということは常にありました」

現在、夫の愛人問題に悩むことはなくなり家族が再生されたとはいっても、4人が「一つ屋根の下」で暮らしているわけではない。東京近郊の志茂田さんの実家に暮らすのが光子さんと大気さん。そこから5分ほどのマンションで単身生活をするのが、『YORIZO』名義でフリーカメラマンをしている順洋さん。志茂田さんは事務所で週の大半を過ごし、週末に仕事や出張がなければ自宅に戻るという。光子さんは言う。

「100組あれば、100通りの家族の在り方があると思うんです。今の主人との距離感は、私が何十年もかかってようやくたどり着いた最も心地よい間合いなんです。最近の心配事ですか。191センチと187センチの大男の息子2人の結婚ですかね(笑)。もう、これは母の祈りです」

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