この7月にスタートしたドラマで、記念すべき200作目となるのが、東海テレビ・フジテレビ系で午後1時30分より放送されている「昼ドラ」。その歴史を振り返り、現在の“ドロドロ”路線になるまでを、コラムニストのペリー萩野さんに解説してもらった。
‘60年代半ばに始まった昼ドラは、当初、映画スターによる“文芸路線”といった色合いの濃いものだった。これが’60年代後半から’70年代に入ると、主婦層に向けた、メロドラマ的な作品が増えていく。禁じられた恋、などがテーマとなる“ヨロメキ路線”だ。
「『もしも……』の長内美那子さんは、『愛染かつら』(フジテレビ系・’65年)にも出演。ヨロメキ系の代表的な女優さんです。脚本も、実力派の作家さんが活躍された時代。『むらさき心中』『テネシーワルツ』などを執筆した佐々木守さんは、岡崎友紀主演でドラマ化された少女マンガ『ママはライバル』のような、コメディタッチのものを手がけています。『蒼ざめた午後』『愛の嵐』などを書いた下飯坂菊馬さんは、後に『鬼平犯科帳』などの時代劇でも、すごい作品を書いた方です」
こうした中、70年代後半にひとりの脚本家が登場する。その名は、花登筺(はなとこばこ)。
「大阪・船場の呉服問屋で、奉公人として働く男の苦節を描いた『あかんたれ』が大人気となり、ここに“ど根性路線”が誕生するのです。花登さんは『細うで繁盛記』(日本テレビ系・’70~’71年)などを書いた方で、浪速のど根性ものを書かせたら、右に出る者はいない方」
‘80年代に入ると、子供の取り違え事件を扱った『母と呼ばれて』、家族と仕事の両立がテーマの『嫁姑・陣取り合戦』など“家族路線”が全盛に。そのテーマが大きく変わったのは、’80年代後半。『愛の嵐』がスタートしてからだ。
「ここに、新たな“グランドロマン路線”の歴史が始まります。『愛の嵐』『風とともに去りぬ』のような、純愛、格差、時代の激動……といった、壮大なテーマを昼ドラに持ってきました。そこで一気に人気者になったのが渡辺裕之さん。広大な牧場を馬で駆けるお嬢さまのもとに、日に焼けたワイルドな姿で近づくんです。このあと、『華の嵐』『夏の嵐』にも渡辺さんは出演。まさに、グランドロマン路線を背負って立った男です」
‘90年代に入って目立つのは、『はるちゃん』『白衣のふたり』『ザ・美容室』など、働く女性を描いた“職業路線”が増えてくる。そして’00年代からは、さまざまなスタイルの作品が見受けられるようになってきた。かつての人気女優が再起をかける物語『女優・杏子』は、職業路線の異色作。荻野目慶子の体を張った演技が評判を呼んだ。“異色路線”ともいうべき中に出てきたのが、大ブームとなった『真珠夫人』だ。
「なんたって『たわしコロッケ』ですから。原作の菊池寛先生も、思いもよらなかったでしょう(笑)。脚本の中島丈博さんによる独特のセリフと発想、ドラマの真髄ともいうべき傑作です。主演の横山めぐみさんも、この作品で脱皮した感があります」
その後、大河内奈々子と小沢真珠の『牡丹と薔薇』が大ブームとなり“ドロドロ路線”が確立。昨年、三倉茉奈が主演した『赤い糸の女』まで引き継がれている。
「改めて見ると、これだけの歴史、ノウハウの蓄積がある昼ドラには、無限の可能性があるんです。女優さんにも、いつもと違うことをやろうという思いと、覚悟がある。女優さんが本気なら、見る側もかかってこいという気で受けます。そういう“阿吽の呼吸”があって、本当にドラマらしいドラマが出てくるんでしょう。自分だけの楽しみを見つけられる、それが昼ドラの魅力ですね」