宇崎竜童さん(67)は、これまで4千曲を超す楽曲を世に送り出してきた。彼の音楽活動を語るうえで“欠くべからざる女性”が2人いる。1人は夫人でもある作詞家の阿木耀子(68)、もう1人は歌手の山口百恵(現・三浦百恵さん=54)だ。

「山口百恵さんは、作曲家としての僕の“誇り”の中心にいる方です。僕が『作曲家として誇り高く生きたい』と思うようになったのは、約4年間、山口百恵さんと仕事をさせていただいたから。僕にとって彼女は、それくらい大きな存在です」(宇崎さん・以下同)

 宇崎さんは、百恵さんにシングル、LP合わせて68曲を書いた。1人のアーティストにこれだけの曲を書いたのは百恵さんだけで、彼女には、プロの作曲家としてものすごく鍛えられた気がすると話す。そして、歌手・山口百恵を誰かに例えると、野球のイチロー選手のような人だという。

「イチロー選手は、普通のバッターだったら打てないボールでも、バットの先に当ててヒットにしてしまう。出会った当時、百恵さんは10代の少女でしたが、『どんなボールでも投げてください』という感じで……。けっこう“変化球”を投げたんですけど、イチロー選手同様、身をよじ曲げてバットに当てるというか、すべて“山口百恵流”で歌うんです。歌のうまい人は何人もいたけれど、こういう歌い手は、あとにも先にも百恵さんだけ。本当にすごい人でした」

百恵さんが結婚して間もなく、一度夫婦で自宅に招待されたことがあったが、それ以降は年賀状のやり取りだけの付き合いだった。その百恵さんと宇崎さんが再会したのは’09年、30年が経っていた。

「このときは恵比寿(東京都渋谷区)のレストランで、僕ら夫婦と百恵さん、彼女の元マネージャーと食事をしたんですが、百恵さんに『何でいらっしゃったんですか?』と聞いたら『JRの恵比寿駅からタクシーで来ました』と言うんでびっくりしました。ということは、自宅のある国立から恵比寿までは電車で来たんでしょうね。30年ぶりに会った百恵さんは、まさによき妻、よき母親で、見事に“三浦百恵さん”になりきっていました」

 次に会ったのは、翌年の’10年。三浦友和さん(61)を交えての食事だったという。

「このとき、お2人は『いま映画を見てきたんです』『アバターを見てきました』と。おもしろかったですか?と聞くと『立体映画ということで非常に話題になっていますが、内容もなかなかよかったですよ』とおっしゃった。そのあとすぐに嫁とアバターを見にいったんですけど、三浦夫妻が一緒に映画を見にいったと聞いたときは『ええっ!?』ってなりました。『人目につくだろうし、どうやって切符を買ったのかなぁ……』と非常に興味をそそられましたけど、あえて聞かなかったです(笑)」

 百恵さんは、芸能界に戻ろうと思えばいつでも戻れたし、戻る際の受け皿はずっとあったと思うと宇崎さんはいう。

「でも、彼女は、結婚してからずっと“三浦百恵”であり続けている。このあたりも百恵さんの“すごさ”だと思いますね。現在は、2人の息子さん(祐太朗=29、貴大=27)も家を出て、たぶん夫婦水入らずの日々を送っていらっしゃるんじゃないでしょうかね……」

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