「母と初めて古びた温泉に行ったとき『一度でいいから、自分の家の屋根の下で寝たい』とつぶやいた母の言葉が忘れられなくて。母のために家を持つこと、母と一緒に住むことが目標になったんです。それが最初の“野心”かもしれません」
家庭環境が複雑なたかの友梨さんを、育ててくれたのは養母だった。「女でも手に職を持ち自立しなさい」との母の教えを守り、理容師の道へ。「決めたからには誰よりもうまくなり日本一になろう」という“野心”とともに、20歳で上京。
白衣とはさみ1本で住み込みで働き、お金を貯めるため夜は小料理屋で皿洗い。睡眠は1日2〜3時間だったという。ある日地下鉄車内の窓に映った自分の顔に驚いた。
「顔にはニキビ、全身に吹き出物が出て『20歳の私?』と恐ろしくなるほど老けていたんです。今、思うとストレスがたまっていたのね」
肌の手当のために訪れた化粧品店で、美しい販売員と出会ったのを機にその会社に転職。1カ月の研修を受けて、付けまつげをつけて目もパッチリと美しく変化した。
「男性のお誘いのレベルも違ってきました。お給料が1万2千円の時代に、1〜2万円するクリームを買う女性がいることにショックを受けました。『美しい女性はお得』。自分がキレイになると『人もキレイにしてあげたい。人の顔を触りたい』と新たな“野心”にメラメラ火が付いたの(笑)」
’72年エステティックを学びに単身渡仏。帰国後、日本の美容界のパイオニアとして大躍進を遂げた。
「なにごとも『やりとげる』志が必要。自分への信念と厳しさ。夢を捨てないことです。自分が崩れそうなときも、凛と自分で立ち、依存しない覚悟で。私の辞書に依存という文字はない。それが誇り」
たかのさんの今の“野心”は「代替療法としてのエステを広げることです。『休養・栄養・バランス』を取り、生活習慣を見直すことで健康になります。私の“野心”は125歳までキレイでいることです」