11月8日、肝臓がんのため亡くなった島倉千代子さん(享年75)。3年前にがんが発覚し治療に努めてきたが、今年に入って肝硬変を併発。6月からは入退院を繰り返すようになり、今月8日に容態が急変。そのまま帰らぬ人となった。彼女の容体はごく限られた人しか知らなかったという。親交の深かった芸能評論家の鬼澤慶一さん(77)はこう明かす。
「実は彼女はもう20年以上前から肝臓を悪くしていて、自分で注射を打ちながら闘っていたんです。でも、彼女はどれだけ体調が悪くても決して弱音を吐きませんでした」
『人生いろいろ』などの曲で知られた島倉さんだが、その生涯は曲名同様、波瀾万丈だった。7歳のときに左腕を47針も縫う大怪我に見舞われた彼女は、’61年、ファンが投げたテープが目に当たり失明寸前の重症。このときの担当医の連帯保証人になり12億円ともいわれる借金を背負っている。’63年には元阪神タイガースの藤本勝巳氏(76)と結婚したが3度の中絶を経て離婚。両親はすでに他界し、姉も入水自殺している。そんな彼女を支えたものは、ほかならぬ歌だった。’89年、彼女はスポーツ紙にこう綴っている。
《断がいを歩いてきたような人生でした。時には死のうと思ったことさえありました。踏みとどまれたのは、歌があったからだと思います》
‘93年には乳がんが発覚。07年には、知人に資産を奪われ再び多額の借金を背負ったこともあった。声が出なくなると、それまで嫌っていたボイストレーニングに打ち込み、回復に務めた。’08年、島倉さんは『女性自身』で森昌子(55)と対談している。奇しくも、これが雑誌での“最後の対談”となった。そこで彼女は70歳を迎えた胸中をこう語っている。
《人生って、生きているってことには、涙はつきものだと考えているの。でも、涙をこぼしても一生、笑っても一生ならどっちを取るか。そう考えたとき、やっぱり笑って生きてったほうがいいよね、同じ生きるなら。涙は毎晩こぼれていますよ。でも、涙を流すだけ流して朝になったらスカッとして、大きな声で「おはよう!」って言うの。(中略)もう下を見ないの。いままでは(地面に)何か落ちてないかと思ってたけど(笑)。いまは上を向いて歩こうと思ってるの》(’08年11月18日号)
晩年は事務所兼自宅でスタッフ付き添いのもと過ごしていたという島倉さん。’10年に肝臓がんが発覚したが、今年6月には宮崎県延岡市でコンサートを決行している。10月に一度退院をしたが、11月6日に再入院。そこでも彼女は、来年の60周年に向けてレコーディングを行うなど精力的に活動していたという。最後まで歌に生きた人だったーー。