「『どうして私、彼氏ができないんだろう?』と言うと、牧野くんは大笑いして『コレはまた今度話そうな』って。亡くなる8日前にお見舞いに行ったとき、そんな話をしていました。人の心配ばかりする人で『何か困ってることはない?』って声にならない声で聞いてくるんです」

 そう言って男性デュオ『東京プリン』の牧野隆志さん(享年49)のあまりに早すぎる死を悼むのは、学生時代からの友人で歌手の平松愛理(49)。

 牧野さんに肺腺がんが見つかったのは、’10年6月のこと。ステージ4の末期がんで「5年生存率3%」だった。告知があってからの1カ月、妻のいづみさん(39)は落ち込む日々が続いたという。平松が当時を振り返る。

「奥様とは病室で初めてお会いしました。きっとワンマンタイプの牧野くんのことだから、奥さまが牧野くんに“ついていく”という夫婦だったと思うんですね。これからは彼女自身で決断していかなくてはならない局面も多くなる。大変だろうなって思っていました……」

 告知から1〜2ヶ月後のある夏の日、牧野さんから「暗いよ」と言われて、いづみさんはハッとしたという。病室では明るく振る舞おうと努力していたが、家ではネガティブなことばかり考えていたから、顔に出てしまっていたのだ。「だめだ、このままじゃ……」と悩んでいたとき、花火の音が聞こえてきて、「ちょっと見に行こうか」と小5の息子と2人、音をたよりに近所を歩き回った。

 花火大会も終わりにさしかかるころ、やっとのことで2人の目の前がひらけ、大きな大輪の花が真夏の夜空に浮かんだ――。いづみさんは、このとき「きっと大丈夫」と前向きな気持ちになれたという。

 牧野さんも、くじけなかったのは「嫁が明るいおかげです」としきりに語っていた。牧野さんが体調のいいときは、息子と相撲を取ったり、将棋を教えたり、ニンテンドーDSで遊んだりした。牧野さんがせきをするとティッシュを渡してくれるような優しい息子。「がんは死ぬこともあるけど、今すぐじゃない。お父さんは頑張っている」と伝えたときは、泣かないで、父の話に聞き入っていたそうだ。

 牧野さんは一瞬一瞬の家族との時間を愛おしく感じ、すべてのことに感謝していたようだ。がんになる以前よりも、より濃密な「家族の時間」を過ごすことができたのだろう。そのときの様子を平松が語る。

「牧野くんにとっての至福の時間は、毎晩9時に親子3人で手をつないで、一緒に寝ることだったんですね」

 だが、がんは容赦なく牧野さんを襲った。昨年10月には胃ろうをつけたことで食事をすることもできなくなり、12月くらいからは、声を出すこともままならなくなった。

「でも、弱音を吐いたことはないんですね。大変なときでもそのたびに『大丈夫、心まで折れてない』って、最後まで前向きでした」(平松)

 何度も危機を乗り越えたが、牧野さんは愛する家族に見守られながら、2月7日未明、永眠――。

「過酷な闘病生活でしたが、息子さんがお父さんのことを知ることができた時間でもあったと思います」(平松)

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