「僕が担当医の先生からC型肝炎が『完治しました』とお墨付きをいただいたのは’12年の春。そして嫁さんも昨年、3度目の正直で、ようやくC型肝炎を克服することができました」
そう語るのは、オール巨人さん(62)。その夫人(61)がC型肝炎だとわかったのは’93年、子宮筋腫の手術をしたときだった。翌年、虫垂炎の手術をしたときに、巨人さんもC型肝炎に感染していることが判明。2人は世代的に、子供のころの予防接種の回し打ちが原因ではないかと、担当医に言われたという。
「’03年、僕よりウイルスの量が多かった嫁が治療を受けることになりました。当時はインターフェロンだけの治療だけでしたが、初めてインターフェロンを注射したとき40度近い高熱が出て、嫁は『このまま死ぬんやないか』と思ったそうです」(巨人さん・以下同)
週3回インターフェロンを打つ治療を続けたが、そのたび高熱が出て動けない状態となり、ウイルスも消えず、手にしびれもでたため9カ月で治療を中止した。2回目の治療は’06年。週1回のインターフェロンの注射と、レベトールという錠剤の朝晩服用だったが、やはり副作用が軽減することはなく、1年半治療を続けたがウイルスも消えなかった。
「そして、’09年には、僕が治療を受けることになりました。年齢を重ねるごとに肝炎ウイルスの量が増えてきて、担当医の先生に治療を強く勧められたことがひとつ。それと嫁が治療中『しんどい、しんどい』とよう言うていたので、『どれくらいしんどいか、いっぺん体験してみようか』という思いもあって……」
治療法は夫人と同じ。やはり巨人さんも、インターフェロンを打った晩には高熱が出た。治療を重ねるにつれ、貧血、耳鳴り、脱毛、味覚障害、睡眠障害といった副作用が次から次へと襲ってきた。
「それでも1年半、僕が治療を続けられたのは、治療がメディアに報じられたから。僕が途中でへこたれたら、他の患者さんや治療にたずさわっている方たちをがっかりさせることになる。『それではあかん!』という気持ちが強くあったことと、阪神君には迷惑をかけられない。劇場ではお客さんが待っていてくださる、ということも続けられた理由です」
治療を続けられたもうひとつの理由に、夫人のサポートをあげる。
「インターフェロンを打つ日には、嫁も一緒に病院へ来てくれて。治療のあと僕は仕事に行かなければいけない。そこで、彼女は病院に残って、精算をしたり、薬をもらったりしてくれた。僕がしんどそうにしていると、さりげなく『しんどかったらちょっと横になったら』と。相方の阪神君も同じような気遣いをしてくれました」
’12年、巨人さんの完治を受けて、夫人は「お父さんが治したんだから、私も治す」と3回目の治療に臨んだ。インターフェロンとレベトール、それに新薬・テラプレビルの3剤併用治療。副作用は出たが、治療は半年ですみ、夫人も完治した。
「それを境に、夫婦で一緒に飲みに行くようになりました。ただ、問題がひとつあって、嫁は酔うと、酔うた勢いでいやみを言う。僕には、これがとてもつらい(笑)。女性の方に耳寄りの話をすると、半年辛抱して、C型肝炎が治ると若くなりますよ。治療前と治療後の僕の写真を見比べて、みんなが口をそろえて『巨人さん、若くなった』と言いますからね」