9月23日に亡くなった宮沢りえ(41)の母・光子さん(享年65)。肝腫瘍を患っていたという彼女は、自らの意思で自宅療養を続けていたという。亡くなった翌日行われた葬儀には小説家の伊集院静氏(64)や劇作家の野田秀樹氏(57)、演出家の蜷川幸雄氏(78)など親しかった約20人が集まり、その死を悼んだ。
「棺の中のママは亡くなったとは思えないほど、きれいな顔をしていたそうです。りえさんは参列者に気を遣ってか、気丈に振舞っていて……。それが逆に周囲を心配させるほどだったようです。お経は、ママが親しかったお寺の住職にあげてもらったと聞いています。ママは生前から『私が死んだらあなたにお願いしたい』と“遺言”として頼んでいたそうです」(演劇関係者)
次第に病魔に蝕まれていた光子さん。今年に入ってからは、ほとんど誰とも会わなくなっていたという。
「決定的だったのは、今年8月上旬。医師から肝腫瘍の告知を受けたそうです。糖尿病の検査を受けた際に発覚したそうですが、そのときにはもう覚悟していたのかもしれません」(前出・演劇関係者)
母と娘に残された最後の2ヵ月。だが、りえは仕事をセーブするどころか、全力で女優業に打ち込んでいった。
「蜷川さん演出の舞台『火のようにさみしい姉がいて』に出演するため、彼女は稽古に臨んでいました。彼女が今までやってきた中でも一、二を争うほど過酷な現場だったそうです。しかし、彼女は全力でぶつかっていました」(前出・演劇関係者)
いっぽうで、母・光子さんは自ら望んで病院ではなく自宅での療養を選んだという。
「彼女は自分の状態が漏れることで、娘の活躍に水を差すことを嫌がったようです。そんな思いを知っているからこそ、りえも休むことなく仕事に打ち込み続けた。宮沢りえはママが作り上げたともいえますからね。女優としての最高の姿を見せることが、ママへの最後の恩返しになると思ったのでしょう」(芸能関係者)
光子さんが亡くなった日も、りえは悲しみを胸にしまい舞台に立ち続けていた。それは、光子さんの『覚悟』を受け継いだことを懸命に示しているかのようだった――。