‘85年にシングル「教室」でアイドルデビューした森川美穂(46)。あれから29年……彼女は現在、大阪芸術大学演奏学科准教授としてヴォーカル実技を指導しているという。
「’07年に非常勤講師で始めて、今年で8年目になります。教えるということは難しいですね。今の学生はいわゆる“ゆとり世代”ですから。彼らのダメなところを頭ごなしに否定せず、なぜできないのか、どうしたらいいのかを考えてもらうようにしています」
音楽番組「ザ・トップテン」でレコード会社の先輩・菊池桃子(46)の妹分として登場すると、17歳の少女は華々しくアイドルとしてのスタートを切った森川。当時についてはこう振り返る。
「当時は「私はアイドルじゃない!」と反発ばかりしていました。本格歌手志望だったので、取材で「好きな食べものは?」なんて聞かれると「そんなことどうでもいい!」と思ってしまって。レコード会社の人と食事に行くと、いつも説教が始まるんです。「あなたも桃子ちゃんを見習いなさい!」とだいぶ言われました。それでも意見を貫いていたら、そのうち何も言われなくなって。会社も諦めたんでしょうね。アイドル失格でした(笑)」
86年には自殺をコンセプトにした秋元康作詞の「赤い涙」が話題を呼び、87年にはASKA(56・当時は飛鳥涼)作詞作曲の「おんなになあれ」などがヒット。これを機にアーティスト路線へ変更したという。99年にはアカペラグループVOX‐IVのKOHJIROと結婚。長男に恵まれたが02年に離婚。以来、シングルマザーとして仕事と子育てに奮闘してきた。
「離婚したのは、私が結婚に向いていなかったからでしょうね。今でも結婚はもういいやと思っています。当時はまだ長男が小さかったので、仕事で家を空けるときは両親が預かってくれました。そのぶん、家に帰ると目いっぱい接するようにしてきました。長男は中2になりましたが、私は毎朝5時半に起きて弁当を作っています。冷凍食品は使わないのがモットーですが、最近は母の愛情が重すぎやしないかと心配しています(笑)」
歌手としても大阪を中心に活動し、デビュー30周年イヤーに突入した。
「来年には30周年コンサートを控えています。この30年、ずっと歌ってこれたのは、支えてくれた人たちがいたからです。今もう一度人生をやり直せるとしても、私はやっぱり歌手を選ぶと思います」