2015年2月14日午前4時47分、人気ロックバンド「シーナ&ロケッツ」のボーカル、シーナ(本名・鮎川悦子さん)が逝った。享年61、子宮頸がんだった。
本誌は告別式の2日後、ご主人でギタリストの鮎川誠氏(66)に、話を聞く機会を得た。
「昨年7月中旬に、本人と家族全員で直接医師から、がんであると説明を受けました。7月に入ったころかな。『体がフラフラする』と言い出して。大きなロックフェスに出演する直前だったんですが……」
そのライブ前日、シーナの血圧を測ると「190」という異常に高い数値が出た。近所のかかりつけの病院に行き、検査のための血液を採取。翌日、ライブ会場へ向かう直前、留守番電話に気付いて、病院に連絡すると、「腎臓の機能を示す数値が正常値より“9倍高い”。大学病院に連絡してあるので、入院の準備をして向かうように」と言われた。検査入院し、1週間後に出た結果は最悪のものだった。
「がんの疑いどころではなく『子宮頸がんのステージⅢbの状態』という宣告です。ステージⅢbなんて初めて聞く言葉やし。まさかシーナが、『おい、嘘だろ』って」
医師が「抗がん剤治療と放射線治療を」と勧めると、シーナは断固拒んだ。家族に相談するまでもないというふうに、即答した。2週間後にはシーナ&ロケッツとして6年ぶりのニューアルバム『ROKKET RIDE』がリリースされることになっていた。すぐ後には、ライブツアーも。
シーナは父親をがんで亡くしていた。抗がん剤や放射線治療を受けたのだが、結局は緩解することなく、副作用に苦しむ日々が続いたという。
「シーナはお父さんのように、治療で体が弱っていき、ベッドから起き上がれなくなってしまうのを恐れていたんでしょう。がんがわかった時点では、シーナはまだピカピカに元気でしたから……」
新作アルバム発表後のツアーには、大きな目玉があった。
「9月に、21年ぶりの日比谷野音でのワンマンコンサートをやることになっていたんです。それは、シーナ&ロケッツの35周年記念ライブでもあった。“野音”というロックの聖地に立つことが、あの時点での僕たちの生きがいだったし、誰よりもシーナが楽しみにしていたライブでした」
がんの影響から体調が不安定になり、シーナは何度もステージを直前にキャンセルしていた。当然、ファンの間にも“重病説”が流れる。しかし、病状は伏せられたままだった。そして野音を無事乗り切る。『シーナが元気、いつもどおりのステージ!』とファンも喜んだ。
10月後半、今度は原因不明の「脚の痺れ」に悩まされた。
「あれほど脚が強くて、ステージでのダンスが自慢のシーナでしたから、それは怖かったろうと思います。毎朝、僕が『どう?』って聞くと『昨日より悪い』という答えが返ってくる。それがずっと続いてね……」
11月に入ると、車いすに。11月24日、家族でシーナの61歳の誕生日を祝った翌日に、再び検査入院。脊椎にがんが転移していた。「腫瘍を剥ぎ取れば、また脚が動く可能性がある」と医師に言われるがまま、4時間に及ぶ緊急手術を受けた。その後リハビリを繰り返すと、自分で脚の曲げ伸ばしができるように。それには家族みんなが大喜び。そしてシーナはかたくなに拒絶していた放射線治療を受ける決意をした。
12月中旬、初めての放射線治療を開始。ところが副作用で、腸がやけどのような状態になる“放射線腸炎”に苦しむ。
「あの気持ちの強いシーナが『放射線治療が恐ろしい』とおびえるほどつらそうでした」
腸炎により24時間絶え間なく下痢状態が続く。そのため、体は見る見るうちに衰弱していった。風邪を引いて、1月6日に再入院。炎症を抑えるためには、絶食をしなくてはならない。栄養を取るために、首の太い静脈へ点滴の針が打ち込まれた。同時に痛み止めの処方も増えていく。
2月に入り痛みは激しさを増す。「痛い、痛い」と訴えていたのが、声を上げることもできなくなった。ただ体をこわばらせ、痛みに耐える……。
「でもいい日もありました。あれは2月11日です。看護師さんから『今日はお腹の調子がすごくいいですね』って言われてシーナがすごく喜んでね。ついに快方に向かいはじめたんだって、大喜びしました。このまま回復すれば、また一緒に家に帰れるって」
いちばんうれしかったのは、シーナ自身だった。激痛でずっと出せないでいた“おなかからの声”が、この日はしっかりと病室に響き渡ったのだ。
「私また歌うけ! 待っとって!!」。鮎川は、シーナの手を強く握り返した。「そうけん! 俺たちも待っとるけん!!」。
2月13日。激痛を抑えるための“強い薬”が処方された。病室には、ずっとビートのきいた音楽が流れている。
「俺は腕をシーナの首の下に回して抱きしめていた。ずっと離さんかった。『ユー・メイ・ドリーム』のイントロが始まったとき、シーナは静かに逝ってしまった……」
2月14日午前4時47分。いつも脈をとってくれていた看護師が「47分……。シーナさんらしい数字ですね」と言った。
後日、ツイッターにアップされた33年前の記事。一問一答形式で「死に場所を選べるとしたら?」という質問に、シーナは答えていた。「彼の腕のなか」――。