「私は美空ひばりさんに憧れて、歌手を目指していたんだけど、小学校6年生のとき、テイチクのオーディションに見事に落選。そこで歌は諦めたんです」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第38回のゲスト、女優の浅丘ルリ子さん。日活映画が大好きな中山が理想の女性だと言ってはばからない浅丘さんとの初対談は、あっという間に時間が過ぎていきました。今年で芸能活動60周年を迎える浅丘さんとのぶっちゃけトーク、スタートです。
中山「僕は浅丘さんを理想の女性だと公言させていただいています。17歳のときに、日活映画をビデオで見て、『こんなにキレイな人がいるのか』と驚きまして。ファン歴はかれこれ30年です」
浅丘「まぁ〜うれしいわねぇ。でも、26歳くらいまでの自分は、話し方もつたないし、体も未完成だし、顔もぽちゃぽちゃしていて、すごく嫌いなのよ」
中山「映画の撮影の本数も、当時は多かったんですよね。年間、何本の映画に出演されていたんですか?」
浅丘「20歳のときが最多で、年間22本。でも、私だけではなく、当時の人気俳優・女優たちはみんな同じ状態なのよ。実は私、自分が出演した作品を、ほとんど見ていないんですよね。次から次へと新しい作品を撮らなきゃいけないから、見ているヒマもない。自分が出演した158本の作品の中で、30本くらいは自分が演じた記憶がまったくないの(笑)」
中山「忙しすぎて覚えていないって、すごいなぁ。浅丘さんが女優になりたいと思ったのは何歳くらいのときなんでしょうか?」
浅丘「中学2年生のとき、読売新聞の連載小説『緑はるかに』の映画化で、主人公のルリ子役の募集があったんです。3千人くらいの少女たちから、最終的に6人に絞り込まれた。私の家は貧乏だったから、自分のセーラー服はヨレヨレ。裕福な友人に頼んで、きれいなセーラー服を1日だけ借りて、最終オーディションへ行きました。そこで、されるがまま、腰に届くくらいの長い髪を勝手にバッサリ切られて、カメラテストをしたら、『この子しかいない!』って私に決まったの」
中山「勝手に髪の毛を切るなんて、当時は荒っぽいですよね(笑)。その初主演の役名をそのまま芸名にされたんですね。日活の皆さんは仲がよかったというお話をよく伺いますが、撮影が終わってからも、皆さんで集まっていたんですか?」
浅丘「仕事が終われば、俳優も女優もスタッフも、みんなが調布の私の家にご飯を食べに来ていました。家が遠かったり、終電がなくなったりした人は、私の家で寝る。そんなのしょっちゅう。わが家は4人姉妹なので、それぞれが友達を連れてきて、それもまた新しい友達になったりして……」
中山「それでは、家には絶えず人がいたんですか?」
浅丘「いつも30人くらいはいたかしら。両親も来客はウエルカムで『おなかすいてる?』『お風呂入ったの?』とみんなの世話を焼いてくれて。居心地がよかったみたいで、常に私の家には若い人たちがワイワイ集まっていました。だから、私のギャラはみんなの食事代と消えました(笑)」