「意味も考えず、ただこういう型だから、とやっていたら歌舞伎がダメになっていくなと思いました。こういうものでしょ、とやっていた自分が恥ずかしくもあり……。定番のものにも意味がある。これから古典をやるのが楽しみですし、この一年も楽しかったです」
そう語るのは、隔週連載『中山秀征の語り合いたい人』第41回のゲスト、歌舞伎役者・中村七之助さん(32)。東京・浅草で兄弟だけで初めて行う「平成中村座」を終えた数日後、歌舞伎座の稽古場にて、もともと付き合いのある中山と男同士、語り合いました。
中山「歌舞伎界の重鎮が何人もお亡くなりになって、坂東三津五郎さんまでも。思うところがあるんじゃないでしょうか」
七之助「三津五郎のおじさまにはびっくりしました。父は僕たちや仲間内には厳しかったのですが、誰にでも、というわけではなかったんです。最近は厳しくしてくださる方があまりいないなかで、三津五郎のおじさまはすごく怒鳴りますし、全員に厳しかった。本当に歌舞伎を愛している人でした」
中山「厳しいというのは意外でした」
七之助「しかも、教え方が上手です。三津五郎のおじさまは、どうしたらできるかを順序立てて教えてくれる。そうするとできます。うちの父の場合『なんでできないんだよ!』『こうやってやるんだよ!』って、それができたら世話ねえや、というくらい教え方が下手(笑)。2人はタイプが違うけれど、同じ志を持ついいコンビで」
中山「言ってくれる人と、感性で見せてくれる人、バランスがいいですね。まだ伝えたかったこともいっぱいあったでしょう」
七之助「伝えたいこともそうですけど、たぶん2人ともまだまだ自分がやりたかったはず。新しい歌舞伎座ができてきたころに、父が『宝ができるね』と言ってました。これもやりたい、あれもやりたいと、何年も先のことまで考えて。歌舞伎座の初めての8月納涼歌舞伎に、新作を3本持っていくとも言っていたらしいです。ひとつは聞いていましたが、あと2つは父が持っていってしまったので、わからないままで」
中山「それは、これからやっていく中で見つかるんじゃないですか」
七之助「父の考えていたものではないかもしれませんけど、自分たちなりに何か見つけられるのではないかとは思います。それが偶然、同じものになったらうれしいですね」
中山「『コクーン歌舞伎』や『平成中村座』、前例のないものをやって、歌舞伎を盛り上げたい、ということが基本だったんですよね。この精神は受け継いでいるのでは」
七之助「それは受け継いでいかないといけないし、受け継ぎたいですよね。そうでないと、歌舞伎は国のものとか展示物のような存在になってしまうのではないかって。今を生きている演劇としてやっていきたいです。父がせっかく種をまいてくれたので、僕たちが一生懸命花を咲かすことで、父も喜んでくれると思っています」