「音楽の授業の席は自由だったから、クラスの女の子たちはみんな福山くんの近くに座ろうとしていた」
中学生のとき、兄のすすめでブラスバンド部に入部。これが福山雅治(46歳)の原点である。ホルンを担当していた福山は“マシャ”のあだ名で呼ばれ、3年生では部長を務めた。今でも“恩師”と慕われる顧問が当時を回想する。
「誰も部長なんてやりたがらなかった。真面目だった福山くんに部長をまかせたら、朝練から放課後の練習まで約40人いる部員をうまくまとめていた。色白で女の子から人気があり、音楽室には『福山くん大好き』『福山くん命』なんて落書きがあって、毎日消すのが大変だった(笑)。他校の女子生徒がわざわざ練習を見に来ることもあった」
福山にぞっこんだったのは女子生徒だけではない。
「別のクラスの女性教師のT先生も『福山くんはハンサムたい!』と密かに応援していた。のちにコンサートにも招待されていた」(学校関係者)
福山が人生初の恋をしたのは中学3年生のときだった。色白で髪の長いお嬢様タイプの同級生に心を奪われたのだ。初恋は成就し、彼女との初デートで地元のお祭りに行ったときの心境を本人はのちに「手を握るのが精一杯だったけど、手の汗がすごくてさ。でも一度手を離すと次に握るタイミングが難しい」とインタビューで振り返っている。なんとも初々しいこの彼女とは高校まで続く純愛だった。
同時期に別のクラスの仲間5人でアマチュアバンドを組み、髪型をリーゼント風にして初ライブを敢行。
「文化祭での影絵劇では福山くんが一人でトランペットを吹き、彼のクラスだけが生演奏だった。進路指導では、『さらに上のレベルでやりたい』とブラスバンドに定評があった地元の商業高校を希望していた。でも、倍率が高くて諦めて、男子生徒が大半の工業高校に進学した」(中学校の関係者)
バス通学だった福山を待っていたのは、彼と同じバスに乗ろうとバス停で行列を作る女子高生たち。そのときについたあだ名が“バス停の君”。実際に本人が語るところによると「朝シャンのすごくいい匂いがしてきて、ガーッてかぎたくなるんですよ」と、毎朝、悶々とした気分で通学時間を過ごしていた。男子生徒たちの憧れの存在だった先生とはこんな事件も。
「生徒は男子校みたいなノリで、エロ話ばかりしていた。あるとき、福山のクラスの男子生徒が英語教師で石野真子似の“まこちゃん先生”にちょっかいを出していたら、教壇で転倒させてしまった。ちょっとした騒ぎになり、女性に優しくすることを学んだのではないか。まこちゃん先生は今もよくコンサートに通っていて、スクリーンに映っていたそうだ」(高校の同級生)
音楽でも多くの女性を虜にしていた。校外のバンドに入り、市内のライブハウスに通いつめた。
「近隣にある女子高にはファンクラブまであったが、福山くんは一途だった。初めて作ったオリジナル曲は中学からつき合っていた彼女に贈ったものです」(元バンド仲間)
高校卒業後、新卒で近所の電機メーカーに営業として就職するが、わずか5カ月で退社。“ビッグになる”と宣言して東京を目指す。寝台列車で出発の日、駅のホームで待っていたのは初恋の彼女。2人は別々の道に進む。
その後、下積み生活を経て、アーティスト、俳優としての地位を確立した福山。女性に向けて書いたといわれる『桜坂』『家族になろうよ』などの大ヒット曲には、そんな女性への思いが刻み込まれている。
(FLASH 2016年1月5・12日号)