5月18日発売の本誌連載コミック『スタアの時代』。昭和のはなやかなりし芸能界を描いた本作の刊行を記念して、作者である漫画家・桜沢エリカが会いたかった、雪村いづみとの対談が実現。美空ひばり、江利チエミと同時代を生きた伝説の歌姫とともに“スタアとは何か”について考えました。
桜沢「はじめまして。お会いできてうれしいです。雪村さん、美空ひばりさん、江利チエミさんの『三人娘』は大人気でした」
雪村「本当に、あの2人に会えなかったら私はこうしていないと思うのよ。『ジャンケン娘』『ロマンス娘』『大当り三色娘』『三人よれば』って、大ヒットの映画に4本出られたじゃない」
桜沢「三者三様で個性がまったくかぶっていないのも素敵でした」
雪村「なんでひばりさんが『お嬢』っていうのかというと、笑い上戸だから。楽屋でひっくり返って笑っちゃうんだもの。チエミちゃんは『〜なのに』が口癖だから『ノニ』。私は本名が朝比奈知子だから『とんこ』って呼ばれて」
桜沢「そうなんですよね。娘さんの朝比奈マリアさんがデビューされたときに、すごくきれいな名字だと思いました。雪村さんのデビューのきっかけは?」
雪村「15歳のときかな、母が病気で生活が苦しくなって、知り合いのおうちのメイドにしてもらおうかと訪ねたの。そうしたら『小さくてかわいそうだから』って断られちゃって。そのままアイスクリームを食べようと、歩いて新橋の『フロリダ』(※ダンスホール)に行ったときに、1曲だけ英語の曲が歌えるって思い出しちゃったの。それで、『あのね、私、“ビコーズ・オブ・ユー”って曲を知ってるんだけど、歌わせてくれる?』って言ったら、『大丈夫ですよ』って」
桜沢「そのまま歌われたんですか?」
雪村「そう。ダンスしていた人たちがみんなやめて、大きな拍手をしてくれて。だから、私はメイドになりそこねた日に、歌手になっちゃったのよ」
桜沢「それをきっかけにデビューもされて、スタアになられたんですね。昭和の芸能界、という感じがします」
雪村「でもね、いろんな歌を歌ったからすべては覚えていないの。母が借金したので、がむしゃらに働いたから」
桜沢「それでも、雪村さんはとても活躍されていたからすぐに返せたのでは?」
雪村「当時の8,500万円だから。いまだったらもっとすごい額になっちゃうわね。母がお医者さんにほれちゃって、全部私のお金で、病院を建てちゃったの。そのあとは、とにかくコマーシャルを限りなくやって返したの。最初のコマーシャルはグンゼのナイロン靴下だったってことはよく覚えてる。返すまでに20年くらいかかったんじゃないかしら。でも、あの借金のおかげで今の私があると思っているの」
桜沢「『スタアの時代』でも、身内の借金に悩むスタアが登場しますが、昭和の芸能界で活躍された方たちからは、いまの芸能界とは違うパワーのようなものを感じます。雪村さんの思うスタアとはどういうものでしょう」
雪村「スタアっていうのは星じゃないの。『スタアは生まれ、消えていく〜』っていう歌もあったじゃない。だから、スタアは生まれ、輝き、消えていくものなんじゃないかしら」