「私の肩書は『クリエイティブ・ディレクター』なんですが、社内では『代表』と呼ばれています。FTCという化粧品ブランドの代表という意味です。時々、私が代表取締役と勘違いされてしまう方もいるみたいですが、私はもっぱら“作り手”です」
表参道の人気化粧品ブランド「フェリーチェ・トワコ・コスメ(FTC)」本社の社長室で君島十和子さん(50)はこう言って、瑞々しい顔に柔らかな笑みを浮かべてみせた。
「美のカリスマ」と称され、多くの女性たちから羨望の眼差しを集める彼女。そして、そんな妻とふたりで、まったくのゼロから立ち上げたコスメブランドを今日の姿まで成長させた実業家の夫・君島誉幸さん(51)。
「『女性自身』さんのご紹介がなければ結婚はおろか、出会うことすらなかったはずです」
誉幸さんはこう言って、インタビューに同行した本誌女性記者に頭を下げた。
皇族やパリの社交界にも愛用者がいたファッションブランド「KIMIJIMA」。創業者である故・君島一郎氏と親交のあった本誌女性記者に、当時は副社長だった誉幸さんが相談をしたのは’94年11月のことだった。
「ブライダルコレクションのゲストモデルを探しているんです。誰かいい人いませんか」
記者が推薦したのが、女優・吉川十和子として第一線で活躍していた十和子さんだったのだ。翌’95年2月に、ふたりは初対面。第一印象を聞くと、「いまひとつでした」と夫妻は顔を見合わせ、苦笑いを。
「一度、ショーを見学してもらいました。会場の入口で父と一緒に出迎えたんですが、この人、父には深々とおじぎしたのに、隣にいた私の前はスッと素通り。正直、第一印象は芳しくなかったですね(笑)」(誉幸さん)
「『KIMIJIMA』からお仕事をいただいていて、正面にご本人がいらっしゃれば、当然あいさつをさせていただきますよね?横に立っているのが息子さんだなんて誰も教えてくださらなかったし……」(十和子さん)
それでも打ち合わせや採寸、仮縫いと何度か仕事で顔を合わせるうちに、同年代のふたりは少しずつ打ち解けていった。’95年5月30日、十和子さんの29回目のバースデーに初デート。プロポーズは、初デートの翌月の6月だった。
いまでは誰もが羨むセレブ夫妻だが、結婚当初は現在とはまったく違う視線を世間から浴びていた。
「世の中は誰ひとりとして、祝福どころか賛成もしてくれない、そんな結婚でした」
そう20年前のあの日々を、十和子さんは少し遠い目をして振り返る。
’95年12月6日の婚約会見から2日後、お祝いムードを一変させる報道が流れた。それは、誉幸さんが以前付き合った女性との間に婚外子がいた、というものだ。売れっ子女優が嫁ぐ有名ブランドの御曹司が抱えていたスキャンダル−−。色めき立った芸能マスコミが連日、ふたりを追いかけた。
「実家の母は近所の方から『あんな人に、大切なお嬢さんを嫁がせてはダメよ』と忠告されたそうです」(十和子さん)
著書で《あっという間に離婚しますよ》と、断言した有名占い師もいた。それでも十和子さんは誉幸さんとの結婚に踏み切った。
「それは婚約を決める前に、彼が過去のことをきちんと正直に話してくれていたからです。私はすべてを聞いたうえで、それでも彼といっしょになりたいと決心し、婚約しましたから」(十和子さん)
’96年1月をもって、十和子さんは芸能界を引退、“君島家”の嫁になった。日本中の反対を押し切り、君島家に嫁いだ十和子さん。すぐに別れるという占い師の予言は外れ、ふたりの結婚生活は20年を超えた。
「最初の嵐がね、めちゃくちゃきつかったですから。あれを経験したら、あれ以上のトラブルなんて、そうそうありません。あの嵐のなかで、私たちふたりはガチッと強力なチームになれた。だからいまでも、仕事にプライベート、四六時中一緒ですけど、問題もなくやれているんだと思います」(誉幸さん)
ふたりとも50代になった君島夫妻。
「私も50歳になって、人生のリミットが見えてきたなと思いますし、その意味でもまずは60歳までが勝負かな、と思っています。この先の10年で、ふたりして取り組んでいる仕事の計画をどこまで形にできるか。いまの私の夢は、FTCをどのご家庭にもうちの製品が1つ置いてあるような、そんなブランドに育てたい、ということです」(十和子さん)