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6月18日は「父の日」。そこで、近年に父親が他界した有名人女性が、“親子の絆エピソード”を語ってくれた。愛を込めて――天国のお父さんへ「ありがとう」

 

「私は父が42歳のときに生まれた子どもです。最初の子どもでもあり、中年になってから生まれたので、相当うれしかったのでしょう。近所の人を集め、たる酒を割って大騒ぎしたそうです。典型的な日本男児で、口下手で愛情表現が苦手。そのくせ短気でよく怒る。それでも、父が私と妹のことをかわいがってくれていたのは感じていました」

 

そう話すのは、タレントのキンタロー。さん(35)。ビジネス旅館を経営していた父・田中正治さん(享年75)。そのためか、片付け好きで勝手にキンタロー。さんの部屋も片付けてしまうこともしょっちゅうだった。「やめて」と言っても耳を貸さないため、正治さんに話しかけない時期もあった。

 

「私の両親は、母が男っぽくて、どっしりと構えているタイプ、いっぽう父は繊細で心配性という組み合わせでした。そんな父と母のもと、私と妹は明るい家庭で育ったのです。ところが8年前、母が急死しました。私は気持ちの整理もつかず泣いてばかり」

 

絶望的な毎日を送っていたある日、江原啓之さんの本に載っていた言葉に出合った。

 

《生きている人間が元気に楽しく毎日を過ごすことが、亡くなった方への最大最善の供養である》

 

「私はこの言葉に救われました。そしてわれに返って気が付いたのは、衰弱した父の姿でした。父は父で母を頼りにしていたのでしょう。病弱になってしまった様子を見て、『父もいつまでも生きているわけじゃない。後悔しないよう、できる限り一緒にいろんなことをしよう』と、妹と3人で旅行に行ったり、父の好きな天童よしみさんのコンサートや映画に行ったりするようになりました」

 

いまでも妹と、親子3人で過ごした楽しい日々のことを話しているキンタロー。さん。正治さんは彼女が結婚しないことを心配していたが、幸い、妹が正治さんに孫を見せてあげることができたので、妹に感謝している。

 

「最後まで私のことを心配していました。私が結婚したのは、父が他界して7カ月後のことです(※’15年12月)。生前は『ハワイにいい人がいる』とか適当なことを言っていたのですが、亡くなってから急ピッチで結婚話が進んでいったので、心配した父が天国から助けてくれたのでは、と思っています。心配性だったお父さん、私たち夫婦は仲よくしていますから、どうか心配しないでね」

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