「最近でもよく叔父と叔母の家には遊びにいきます。いまは2人の息子が巣立って夫婦2人きり。叔母は『ご飯作っても余るんだよね。いっぱい食べてね、建汰』って言って。だからいつも大盛なんですよ(笑)。“百ちゃん”もちょっと寂しいのかな……」
そう語る絲木建汰(30)は、三浦友和の実姉・篠塚ひろ子さん(67)の一人息子だ。母のひろ子さんが経営する山梨県・清里のペンション「La VERADURA」で生まれ育った彼は、祐太朗(34)や貴大(32)の従兄弟にあたるが、兄弟同然の間柄。普段は、三浦夫妻を「稔おじちゃん」「百ちゃん」と呼んでいるという。役者の道を歩む彼は現在、音楽劇『ブルースな日々〜夢に向かって〜』(築地ブディストホール)を控え、稽古の真っ最中。多忙ななか、インタビューに答えてくれた。
「百ちゃんがすごい人だったということは知っています。でも僕は小さいころ、『テレビでみるより、いまの百ちゃんのほうがキレイ』って言っていたみたいで。山口百恵って、クールな路線だったじゃないですか。でも僕の知っている百ちゃんはいつも笑顔を絶やさない、柔和で優しい菩薩みたいなイメージなんです。
僕が小学校5〜6年生のときかな。家出して、叔父の家に行ったことがあったんです。すると百ちゃんはいつもの笑顔で家にあげてくれて、ご飯を出してくれました。『どうしたの?』なんて全然、聞かない。その前に母から連絡があったんでしょうけど、そんなことはおくびにも出さない。いつものあの優しい笑顔で、普段どおりに迎えてくれた。百ちゃんって、そういう人なんです」
成人してから山口百恵の映像を見たとき、改めて叔母のすごさを理解したという健汰。当時の特別なオーラは「映像を通してでも伝わってきた」と興奮ぎみに語る。
「現役時代のことを百ちゃんと話したことがあるんです。でも、本人はあまり覚えていない感じで。『あのとき、何かが私に降りてきたのよね……』と。そんなことをポツリと言ったことがありました。芸能界でやっていたころはたしかに神がかっていた。でも叔父と結婚し、幸せな家庭を築いてからは普通の女性になったんですよね。『憑き物が落ちたじゃないけど、私についていた何かがキレイさっぱりどこかに消し飛んでいってしまったのよ』と語っていました。
叔父の家にはカラオケがあって。百ちゃんはJUJUとか、いきものがかり、Superflyの曲も歌うんです。でも、自分の曲は絶対に歌わないですね。中学生くらいのときに僕が山口百恵を歌うと、百ちゃんが横にきて当時の振り付けをやってくれるんです。すると祐太朗と貴大が『ダッセェ振り!』みたいにからかって、ちょっとした親子喧嘩に(笑)。そして僕が仲裁に入る、なんてこともありました」
引退当時、「私は稔さんと幸せな家庭をつくって、普通のおばさんになりたいんです」と話していた百恵さんは立派に夢を叶えていたーー。