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あどけない小さな男の子が押し寄せる波に打たれ、海岸の砂浜でうつ伏せとなって動かなくなっている。そんな1枚の写真が世界に大きな衝撃を与えました。幼児の名前は、アイランちゃん。まだ3歳で、両親や兄弟と内戦状態のシリアから脱出し、ボートに乗ってヨーロッパへ向かう最中の惨事でした。そしてこの写真がきっかけとなり、難民受け入れに消極的だったヨーロッパの世論に大きな影響を与えることになりました。

もちろんこれまでも中東やアフリカからの難民の流入はあったし溺死する事件もありましたが、その数は少なかった。しかしこれらの難民の行列に内戦から逃れようとするシリア難民が合流することで、死亡事故が急増したのです。一部報道では、船やボートに乗って地中海を渡った難民はこの夏だけでも25万人。うち航海中に命を落とした人は、2千人を超えるとも言われています。ただドイツなど一部を除く欧州諸国の世論は、難民の受け入れに積極的ではありませんでした。

背景には、いくつかの要因が考えられます。第一に、経済的な問題です。いざ難民を受け入れることになると、関連する費用のすべてを自分たちの支払う税金で負担することになります。しかしギリシャ財政危機などで緊縮財政を強いられている欧州諸国は経済的な余裕がなかったのです。

第二に、宗教的な問題があります。イスラム教徒がほとんどである中東からの難民受け入れは、欧州統合の宗教的な拠り所でもあるキリスト教社会を根本から脅かす恐れがあると考えられています。こうした懸念はイスラム教に比較的寛容なスペインなどの南欧諸国よりも、英国やノルウェーをはじめとする北欧諸国に見られる傾向です。

第三に、治安上の問題があります。難民のなかにはイスラム過激派組織「イスラム国」の組織員が含まれているといわれ、すでに数千人のイスラム国の組織員がヨーロッパに潜入したとの報道もあるくらいです。そしてそれは、当然ながら欧州でのテロの発生可能性を高めることになります。

こうした問題は難民に限らず、一般の移民問題にも見られます。私は今までヨーロッパ6カ国(英国、ドイツ、フランス、スペイン、イタリア、オーストリア)に住んできましたが、どの国も程度の差こそあれ、移民受け入れに必ずしも好意的とはいえない空気感が見られました。

たとえば治安の悪化や雇用機会の喪失が移民のせいにされたりします。フランスでもアフリカやアラブや東欧からの移民とフランス人との対立が存在し、ドイツでもトルコ系移民とドイツ人との乖離が深刻化していました。一度そういう状態ができると、後から解消しようとしてもなかなか難しいもの。歩み寄りはできても、完全なる共存までの道程は長いように思えました。

そうした絶望的な状況が続くなか、ドイツのメルケル首相は歴史的な決断を下します。それは「ハンガリーで足止めされていたシリアの難民のうち、ドイツへの亡命を望む者は全員受け入れる用意がある」というものでした。背景にはアイランちゃんの溺死写真による世論の変化もありましたが、大規模難民の流入に反対し人種差別的な言葉や暴力の伴うデモを行う国内極右勢力との対決姿勢を鮮明にしたという側面があります。

人道主義という理想を形にすることには犠牲が伴います。アイランちゃんの死に涙を流す者は多いが、行動を起こす者は少ないのが実情です。そういう意味でもメルケル首相の決断はまさに英断ともいえるもの。現実的な落とし所はともかく、歴史的挑戦を迎える欧州諸国が進むべき方向性としては間違っていないのではないか思います。


ジョン・キム 吉本ばなな 「ジョンとばななの幸せって何ですか」(光文社刊・本体1,000円+税)

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吉本ばなな

1964年東京生まれ。’87年『キッチン』で海燕新人文学賞を受賞しデビュー。’88年『ムーンライト・シャドウ』で泉鏡花文学賞、’89年『キッチン』『うたかた/サンクチュアリ』で芸術選奨文部大臣新人賞、同年『TUGUMI』で山本周五郎賞、’95年『アムリタ』で紫式部文学賞、’00年『不倫と南米』でドゥマゴ文学賞をそれぞれ受賞。海外でも多くの賞を受賞し、作品は30カ国以上で翻訳・出版されている。近著に『鳥たち』(集英社刊)、『ふなふな船橋』(朝日新聞出版社刊)など。

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