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またも残酷な事件が起きました。7月26日未明に神奈川県相模原市の障害者福祉施設で刃物による殺傷事件が発生し、19人の死亡が確認され26人が重軽傷を負いました。

 

戦後日本で最大の犠牲者を出したこの事件。被疑者は施設の元職員・植松聖容疑者(26)。12年12月から今年2月まで、約3年間勤務していたそうです。植松容疑者は調べに対し容疑を認めており「施設を辞めさせられて恨んでいた」と供述しています。

 

私が恐ろしいと思ったのは、今回の事件が偶発的な犯行ではなく、用意周到で計画的な犯行であったこと。そして同容疑者が“ある確信”に基づいて犯行を実行し、犯行後も反省の気持ちがみられないということです。その“確信”とは「障害者は社会にとって荷物的な存在であり、それを排除することが社会のためになる」というもの。同容疑者は「ヒトラーの思想が2週間前に降りてきた」と話していたようです。

 

さらに「世界に8億人の障害者がいて、その人たちに金が使われている。それをほかに充てるべきだ」とも発言。彼は同施設で勤務していた際も「重度障害者に安楽死を容認すべき」と発言したことが問題となり、辞めさせられていました。

 

ヒトラーといえば言うまでもなく600万人超のユダヤ人を虐殺した人物ですが、実は、彼は39年から「T4プログラム」という障害者を排除する政策も実行しています。この政策は41年まで続き、殺された障害者は20万人とも言われています。政策の背後にあった考え方は、優生学に基づくものでした。優生学とは「人類の遺伝的素質を改善することを目的とし、劣等な遺伝子を淘汰させ、優良な遺伝子を保存すること」を研究する学問。いまでは考えられませんが、19世紀から20世紀初めまではかなり影響力があったのです。特にナチス・ドイツにみられるような全体主義的国家では、マイノリティーを排除する際の科学的根拠として幅広く使われていました。

 

ただ注目すべきは、こうした障害者に対する社会的差別はドイツの占有物ではなかったということです。障害者差別をはじめとする人種差別や女性差別などは、西洋諸国でも古くから蔓延していました。

 

ギリシャ・ローマ時代にも身体的・精神的障害のある人に対する迫害はあり、それが16世紀の宗教改革が行われるまで続いています。またそれ以降も障害者福祉への理解は広まってきたものの、その差別は近年まで行われていたのが実情でした。たとえばいまや福祉国家として先進国の先頭を走るスウェーデンも、35年から75年まで6万人を超える障害者に不妊手術を強制していた事実があったのです。

 

障害者の尊厳を守る重要性が認識され、人権という側面から制度的不平等や差別改善の策が講じられるようになったのは、70年代に入ってから。そういう意味では、障害者に対する健全な考えが根付き始めたのはごく最近のことだといえます。

 

自然の中に同じ葉が一つもないように、人間が持つ身体的能力や精神的能力にも差異があります。人間は生まれながらにして尊厳ある存在です。障害以前に人間としての尊厳や全体性を無視し、障害のある身体の一部分だけに焦点を当てて差別することは絶対に避けなければならないことです。物理的な意味でのバリアフリーの考え方こそ広がりましたが、障害者への差別意識を持たず配慮をもって接する“心のバリアフリー”が浸透する道のりはまだ遠い気がします。

 

今回の事件で犠牲になった方々の命を無駄にしないという意味でも、私たち一人一人が障害者問題に対する関心や認識を高めていく必要性を強く感じます。

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