5月某日 北イタリア・パドヴァ
もうだいぶ前になりますが、同年代の日本人のロハス系友人から「私たちの世代は残念だけど、食べものの影響で長生きができない
とまことしやかに伝えられたことがありました。
彼女曰く、私たちが子供だった1970年代、高度経済成長期を迎えた日本には様々な食品が開発され流通していたが、その時点では身体に害を及ぼすものかどうかの確証もなく平気で使われていた調味料や添加物が、今では使用禁止になっていると……。つまり我々世代の身体は、知らず知らずにそういった様々な“毒”に侵されてしまったようなもので、長生きが叶わなくなる、というのです。
「いったい何を言っているんだ、この人は」と半信半疑でいた私ですが、彼女があまりに真剣な表情で「思い出してみて? あなたも子供だったころ、へんな色や味のもの、たくさん食べた記憶ない?」と執拗に問い質してくるせいで、むかし大好きだった得体の知れない食べ物が、次々に脳裡に浮かび、不安が増長するのを抑えられなくなってしまいました。
小学校低学年のとき、私は果汁0%の真っ赤なイチゴ味の炭酸飲料が大好きで、それを飲んでは真っ赤に染まったベロを皆に見せて笑い転げていたものでした。気がついたらあの飲み物は、ひっそりと人知れず市場から姿を消していました。
アメでもアイスキャンデーでも、あの頃の子供には極彩色の食べ物に心奪われる傾向があったと思うのですが、現在は、いわれてみればあのような非現実的な色味を帯びた食品はなかなか目につきません。ショッキングピンクの『鯛そぼろ』というものをご存知の方がどれだけいるか判りませんが、あの製品も今では全く見かけなくなってしまいました。かわりに、極々自然の色をした『鯛そぼろ』は手に入りますから、やはりあの強烈なショッキングピンクの着色料は、あまり身体に良いわけではなかったのかもしれません。
しかし、そのような自然界からあまりに逸脱した色彩や味のものを散々食べていながらも、バブルという時代は、日本中の人々に世界中の美味しいものを知る機会をもたらしました。一般人でありながらも素材の本質を味わう最高の和食のあり方を認識し、世界各国のワインの味を楽しませてもらえるようにまでなったのです。
へんなものばかり食べていたせいで舌までバカになってしまったわけでもなく、日本の人々はお米一粒の味からジャンクフード至るまで実に幅広い味覚を受け入れる、寛容でかつ繊細な舌を持つようになったのでした。
イチゴ味の飲み物でベロを赤く染め、その後はイタリアでろくな食事にもありつけない貧乏生活を送っていた私ではありますが、子育てのために日本に戻り、北海道のローカルテレビ局でフード(と温泉)リポーター業にいそしむうちに、すっかり贅沢を嗜好する甘ったれの舌になってしまいました。今も日本へ帰国すると、その日の夜は可能な限り立派なお寿司屋さんへ行き、ひたすらイタリアの料理しか食べられなかったことで、不満不調を訴える舌と精神を安定させるようにしています。
でもその傍らで、かつてのジャンクフード欲も萎え衰えることもなく、しっかりと活性化し続けてはいるのです。今もこの原稿を書いているPCの脇には、日本から持ってきたわさび味の『キットカット』と、なっとう味の『うまい棒』が置かれていたりするわけです。
私は昔からソーダ味のアイスキャンデーが大好きだったので、日本で夏を過ごすときは頻繁に『ガリガリ君』を食べますが、数年前の私のマイブームは『ガリガリ君』のコーンポータジュ味。これは相棒とり・みき氏から「絶対美味しいから、食べてみなってば」と熱烈にお薦めされて半信半疑でトライしたのですが、ほんっとに美味しい。コーンポタージュとアイスキャンデーという、味覚的にも温度的にも全く結びつかないようなこの素材が見事なマリアージュを遂げており、心底から感動を覚えたものでした。
ところがつい先だって、ツイッターのタイムライン上にイタリアの新聞サイトが『世にも最悪な食べ物たち』と題した写真をアップしているのに気がつき、それを見て愕然となってしまいました。二十何品目も取り上げられたその『最悪食品』の半分は、大好きな日本のお菓子で占められ、わさび味の『キットカット』もしっかりエントリーされているのです。
ほかに『馬刺アイス』とか『寿司ドロップス』といった、味を想像するのが難しい製品も混ざってはいますが、クラムチャウダー味の『ドリトス』、マヨネーズ味の『プリングルス』など、王道的なものも、「最悪」として取り上げられているのです。