8月某日 北イタリア・パドヴァ
先日、もの凄く久々に料理をしました。
アメリカからイタリアに戻ってきて既に4年目になります。以来、近所においしい料理屋さんがあったり、惣菜屋さんがあったりするのを良い事に、アメリカ時代は1日に3回家族のためにしっかり食事の用意をしていたはずの私が、まったく料理をしなくなってしまいました。
そんなわけで、我が家では夫婦がそれぞれ違うものを食べるのが今ではすっかり当たり前になってしまい、旦那は自分で大好物のパスタを(というかパスタばかり)作ったりするわけですが、私は実はイタリアにこんなに長くいるのにパスタ系のものがそれほど好きではなく(ちなみに一番好きなのは日本のケチャップ味のきいたスパゲッティ・ナポリタンと、明太子系や納豆を使った和風パスタ)、旦那の作るものはほぼ食べません。
私は私で日本から持って来た素麺や蕎麦を茹でたり、白米を炊いたり、サラダに和風ドレッシングで味付けしたものなどで、適当に済ませます。もう若くありませんから、油分も味付けも抑えられた日本のさらさらした食事はやはり有り難い。
先日、私は突発的に、無性に苛立つほど餃子が食べたいという欲求にすべての意識が支配され、仕事が手に付かなくなりました。対処として頭に思い浮かんだのは近所の中華料理店です。イタリアは異常気象の影響で連日35度を越える猛暑の最中でしたが、私はただもう餃子だけで頭をいっぱいにしながら外へ飛び出しました。とりあえず、青島ビールと中華風焼き餃子。それさえあれば私はしばらく酷暑を元気でやっていける、そんな思いに駆り立てられ、財布を握りしめて中華料理店を目指す歩調は、早歩きから小走りになっていました。
しかし、進行方向の彼方に見えてきた料理店の様子がなんとなくおかしいではありませんか。まず目印の赤い提灯がぶら下がっていない。よく見るとしっかりとシャッターが閉まっており『夏季休業』という貼り紙が。久々に膝を落としたくなる程の落胆に見舞われ、暑さと悔しさと空腹で涙がこぼれ落ちそうになりました。
そう、8月のイタリアの私が暮らしているような小都市の中心部は、殆どの人がバカンスに出かけて誰もいません。昔から8月は店も夏休みに入るのが習慣なのですが、餃子への思いで頭の中が飽和状態になっていた私にはそんなことを考えるゆとりはありませんでした。
私はゆっくりと踵を返し、中東の砂漠を彷彿とさせる肌を焼きつける灼熱の日射しの中を、力なくとぼとぼと歩きながら、ふと、かつてシリアに暮らしていた時に、どうしてもうどんが食べたくなって小麦粉を練ってうどんを作ろうとした過去を思い出しました。うどんが練れるのであれば、餃子だって作れるはずです。
シカゴはさすがに在住日本人の数も多かったので、日系のスーパーマーケットもありましたし、その辺の店でも本当に最低限度の食材のようなものは売っていたりします。餃子の皮的なものも手に入りましたし、豚のひき肉も入手可能でした。しかし、今私が暮らしている街には豚のひき肉もなければ(イタリア料理では豚のひき肉を使う料理が一般的にはない)、餃子の皮を売っているような有り難い店は周辺にありません。
道端で立ち止まり、スマホで早速『餃子の作り方』を検索してみると、ありますあります、皮の作り方から具材、しかも豚のひき肉の作り方までなんでも出ているではありませんか! 素晴らしい! なんていう便利な世の中!
なぜか茶色い餃子がよりいっそう黄金色に照り輝いて
私は帰路、辛うじて開いていたパン屋さんで2種類の小麦粉を買って家へ戻り、早速ネットに出ている通りに餃子を皮から作り始めることにしました。
しかし、レシピ通りにやっているはずなのに、皮の様子がどうもおかしい。まず買って来た小麦粉がどういうわけか白くない。全粒粉という表示があるわけでもないし、何故だろうと不思議に思いながらも、まあ小麦粉には代わりないと開き直って練ってみれば、出来上がったのは褐色の粘土のような固まり。シリアで日干し煉瓦の素材をみたことがありますが、そっくりです。
気にするのを止めてそれを寝かせている間に、今度は豚肉のかたまりからひき肉を作ります。とにかく豚の肉を執拗な程切り刻む。黙々と30分、自分がまるで恐ろしい殺人鬼にでもなってきたような心地になりながらひたすら包丁を動かし、なんとかそれらしいものが出来上がりました。そこに取りあえず調達が叶った具材のみを入れて練りまくります。生姜のおかげでそれなりの香りがしてきて安堵。最悪これを今すぐミートボールにでもして食べてもいいよな、という邪念も脳裏をよぎりますが、それを払拭し、いよいよ先程から寝かせておいた茶色い小麦粉の練り物で餃子の皮作りを試みる事にしました。
が、麺棒がない事にその時点で初めて気がつきました。手のひらで伸ばしてみようとしましたが、どうも破れてしまいます。それに変わるものはないかと戸棚の中を物色し、仕方がないので一番円筒形に近い形状のガラスのコップを使う事に決めました。しかしコップは若干円錐状になっているために底を中心に円状に転がるので、どうしてもネタを均等にのばす事ができません。
出来上がるのはただひたすらいびつな形の、しかもたいして薄くもないごわごわした皮ばかり。ただもうビールを飲みながら餃子を食べたいという思いのみに突き動かされ、時計を見れば最初に作業を開始してから2時間も経っています。やっとすべての皮に具を包み、フライパンを引っ張り出した時に新たな衝撃に見舞われました。
油がない。いや、油はあるのですが、夫がパスタに使っているマルケ州の農園から取り寄せた高級エクストラバージンオリーブオイルしかこの家にはないのです。料理をふだんしない、というのがどういうことなのかが痛感される展開に再びがっかりしそうになるも、冷蔵庫ではすでにビール(イタリア製)がスタンバイされています。私は熱したフライパンに旦那の高級オリーブオイルを垂らし、そこに作ったばかりの、餃子、というか、ずっしりとした枕の粘土細工みたいなものをびっしりと並べました。
オリーブオイルで焼かれた、ただでさえ茶色い餃子がよりいっそう黄金色に照り輝き、“美味しそう”を通り越して崇高な雰囲気すら放っています。私の執念と執着がみっしりと詰まった黄金餃子のオリーブオイル焼きはいよいよ完成に迫ってきました。
と、そこへ匂いを嗅ぎつけた夫がやって来て、フライパンの蓋を開け、その脇で洗い物をしている私に「おお、パスタ嫌いとか言いながら、ラビオリ作ったんだね」と声を上げました。そして「トマトソース、作り置いているのがあるよ、いる?」と。
確かに餃子をイタリア語にすると『ラビオリ・チネーゼ』(中華風ラビオリ)となりますし、旦那もラビオリ・チネーゼは良く知っています。なのに、私の餃子に対しては『チネーゼ』が付きませんでした。きっとオリーブオイルの香りと、形状が問題なのでしょう。
作り始めて2時間30分、私は夫を追いやり、暑さと疲労で朦朧とした意識の中、テーブルに座って、ようやく焼きたての自家製餃子を口に運ぶことができたのでした。ぶ厚い皮で口の中がいっぱいいっぱいになりますが、具はほんのりと餃子っぽい、感じがしないでもない。ですが、もうその時点になると味などどうでもいいことになっていました。人間の食への執着と欲求というものは恐ろしいものだな、という感慨と、料理をしなくなった怠惰な自分への後悔の念に浸りながら、一口食べただけで喉つまりしそうな黄金餃子を、冷たいビールで流し込んだのでありました。
ああ、美味しい日本の餃子が食べたい。
※私の餃子作り奮闘記を写真付きで詳しくご覧になりたい方はこちらをどうぞ。