翔子さんの才能は、この母親泰子さんなくして花開くことはなかっただろう。思い立ったら、夜中まで書に没頭することができる環境にあり、師にも恵まれた。
「環境は大切だと思いますが、書は別格として翔子はいろいろなりたいものがコロコロ変わるのですよ」
と泰子さん。
「お料理が好きで、本当はコックさんにもなりたかったけれど、いまはお医者さんになりたい」という翔子さん。その真意を正すと、
「お母様の耳(泰子さんは突発性難聴を患っている)を治してあげたいの」
といい、最近苦手な計算問題をまた一生懸命解いているという。
翔子さんの世界では、やればできる、不可能の文字はないのだ。
「いま、至福の時といえます。23年前はあれだけ自分だけが不幸だと思い、神を呪った私が、こんなときを迎えるとは思いもしませんでした」
生まれたころは、まったく希望がないから育てられないとまで思った。それがいまは、どんなに悔いても、もう取り返しがつかない、と泰子さんはいう。
「いまでも翔子に心の中で時々『ごめんね』って謝っているの。それは、翔子がこの世に生まれてすぐに見た世界が、私の泣き顔なんです。
泣きながら幼子を育ててしまったことをいまは悔いるばかりです。だから、同じダウン症のお子さんを持ったお母さんに是非とも言っておきたいことは、希望は必ずあるから、どうか泣きながら育てないで欲しいということです。
ただ、いつのころだったか、『医者になったダウン症の人がいるんだって』と私におしえてくれた人がいたのです。結局、いまだにそのお医者様について聞いたこともないので、私を励ますためのお話だったのでしょうが、『え?そんな人がいるの?』って、長いことそれが大きな希望となったことは間違いないのです」
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