今年7月、厚生労働省の事務次官に上りつめた村木厚子さん(57)。女性事務次官は中央官庁史上で2人目だ。中央官庁には珍しく、高知大学文理学部出身。’78年、キャリア官僚として入省し、お茶くみからスタートした。
26歳で同期入省の男性と結婚。29歳で長女、35歳で次女を出産し、30代は仕事と子育ての両方に奮闘した。
「夫は、男も育児をして当然という考え方でしたから、一緒に乗り越えてきました。保育ママさんにもずいぶん助けてもらいました。保育料とタクシー代で年間300数十万円かかった年もありましたね。当時の私の給料のほとんどでしたが、期間限定なのだからと割り切るしかありませんでした」
31歳のときには、長女を連れ、島根労働基準局へ子連れ単身赴任している。
「母子で赴任だなんて空前絶後だと、たいそう驚かれましたが、職員の方が保育所探しを手伝ってくれたりと、なにかと力になってくれました」
’09年、冤罪事件で逮捕されたときも、村木さんの誠実な仕事ぶりを知る島根時代の仲間が拘置所まで会いにきてくれた。近著『私は負けない「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論社)にあるように、無罪を勝ち取るまでの454日を闘い抜いた村木さんの精神力は、働くことで培われてきた。
「パニックにならずに対処する術が身につきました。やるべきことに優先順位をつけ、今すぐできることから手をつけていくと、おのずと問題が片づいていく。すごく楽になりましたよ。仕事でも子育てでも、この法則は通用します」
背伸びをせず、常に自然体。極力、現場に足を運ぶことも村木さんのスタイルだ。
「なにごとも完璧は無理。スーパーウーマンって憧れますが、平凡な人間がコツコツと積み重ねていったものにも必ず結果がついてきます。あきらめないで続ける。その経験を大切にしてください。育児や介護で苦労をするとトータルで人間力が上がり、仕事のスキルも上がります。私も子育てをして、部下に優しくなれたように思います」