中畑清「愛してるよ」がん闘病死妻と交わした”最後の会話”
「昨日の夜からやってるから、だいぶよくなったよな。ほら、俺がこうしてると絶対にかあちゃんは治る。『現金出すな、元気出せ』ってな。今日から俺が、泊まりこみでずっと一緒にいてやるからな、母ちゃん。もうどこにもいかないから、安心してくれよ」
東京大学医学部付属病院の病室で、そう語りかけるのは横浜DeNAベイスターズ監督・中畑清さん(58)。かたわらにいるのは、妻・仁美さんだ。
12月5日、10カ月に及ぶ子宮頸がん闘病の末、亡くなった仁美さん。享年59。清さんは36年間、身の回りの世話すべてをしてもらってきた恩返しをするかのように、すべての仕事をキャンセルして、一時も離れず仁美さんに寄り添っていた。
「トイレ」という声にすかさず反応する清さん。個室内のトイレまで、車椅子に乗せて連れて行く。ドアが閉められると、すこしして中から、清さんの嬉しそうな声が聞こえた。「すごいな、かあちゃん、自分で座れるじゃないか」
本当に最後の力を振り絞っている仁美さんは、結婚生活で初めて夫に“甘えて“いた。「腰が痛い」「脚をもんで」「枕の位置を変えて」「ジュース飲みたい」「お父ちゃん!まだ死にたくない――」
11月28日の夜、仁美さんの病状を知りながら報道を控えていたスポーツ紙の担当記者たちは、清さんをねぎらおうと、病室から『ホルモン家族』に連れ出した。焼酎ボトルが1本開いたころ、清さんが突然うつむくと、目から大粒の涙がこぼれ落ちる。
「……なんでおかあちゃんがこんな目にあわなきゃいけないんだ。おれのおかあちゃんが一体、何を悪いことしたっていうんだよ。『死ぬときは俺が先で――』って、約束してたんだよ。俺、かあちゃんがいなくなったら、どうすりゃいいんだよ……」
記者たちは何も言えず、みなのすすり泣きだけが、店内に響いていた。
12月に入り「3、4日がヤマでしょう」と医師に言われ、3日にはほとんど会話できなくなったが、4日になると奇跡的に持ち直した。清さんは耳元で語りかけた。「かあちゃん、愛してるよ」
すると、前日には発することができなかった言葉が仁美さんの口から出た。「あ・い・し・て・る」それが最後の会話になった。翌5日、朝から意識のなかった仁美さんは午後6時5分、家族と関係者に見守られながら、眠るように安らかに、息を引き取った。
清さんはその夜、真っ赤に泣きはらした目で言った。「本当によく頑張ったんだよ、かあちゃん。『もうダメだ』と思ったときからあれだけ頑張りを見せてくれたんだから」