さる2月10日、2014年2月に行われるソチ五輪出場を一番乗りで決めたのが、日本では最もマイナーなスポーツの一つともいえる女子アイスホッケーだった。しかし思い出してほしい。ほんの数年前までは、やはりマイナースポーツと言われていた女子サッカーのことを。そのなでしこジャパンに負けじと、彼女たちには”スマイルジャパン”の愛称もできた――。

 

「母と私での取材は初めてなので、今日はうれしいです」と、スマイルジャパンを象徴する健康的な笑顔で話し始めたのは、ディフェンスの床亜矢可選手(18)。この4月に法政大学に入学したばかりだ。母の栄子さん(45)は、20代のころにテニスのインストラクターをしていた。父は日本代表も務めたアイスホッケーの名プレイヤー泰則さん(51)。

 

「いつも父と取材を受けると、父が育ての親みたいな感じで。自分としては違うんだけどなぁ、っていう……(笑)。最初は母と2人で学んでいった感じです。母には基礎をたたき込まれました。競技にのぞむ”姿勢”といいますか」

 

釧路出身の床選手は、4歳でスケーティング教室に通い、小1で小学校のアイスホッケー同好会。中学3年でU-18(18歳以下)日本代表に選出。高1のU-18世界選手権では個人賞も獲得と、選手生活は順風満帆に進んでいた。しかし高1の秋に突然、甲状腺の疾患であるバセドー病を患った。原因不明の病で、動悸や手指の震え、だるさなどの諸症状がある。

 

この治療としては、薬の服用で3年もすれば症状がほぼ消失すると言われた。その後、甲状腺疾患の専門病院を訪れ、手術をする選択肢もあると知る。しかし、甲状腺の大部分を切除する方法で、首の前部、横に10センチ近い手術痕が残ると医師は説明した。すぐに母娘の間で激しいやり取りがあった。

 

「私、すぐに手術したい!」「お母さんは大反対!」――時間をかければほぼ完治すると言われれば、親として当然の対応だろう。しかし娘は、「3年も待っていたら、ソチ五輪に間に合わない。私はなんのためにアイスホッケーをやってきたの。それはソチオリンピックに出ることだよ」と引き下がらなかった。

 

最後は、とうとう両親が根負けした。’12年4月27日、肥大した甲状腺の9割を切除する手術は無事に成功。本来は1周間入院するところを自ら4日で退院する。代表復帰は、7月の代表選考合宿から。そして今年1月、ついにソチ五輪最終予選メンバーに選ばれた。このとき床選手は、人生で最高の瞬間を迎えたのだろうか?

 

「いえ、私の最高の瞬間は、いつもユニホームを着るときです。着る前に名前、背番号、マークを確認するんです。ここまで来るのにどれだけやってきたか、どれだけ周囲にお世話になってきたか、それを感じながら着るんです」

 

それこそ、幼いころからの母の”姿勢”の教えである。手術後、告知のとおり、彼女の首には10センチほどの手術痕が弧を描くように残っている。

 

「今となっては勲章です。あのとき決断した証し。私がアイスホッケーにかける思いがここにあるんです」

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