「これ以上『頑張って!』とは言いたくないのですが、あえて私は『頑張って!』と言いたいです。樹はスケート一家に育ったわけではなく、運動能力に恵まれていたわけでもない。もちろんお金持ちでもないし、ほかの選手のようにスポンサーやマネジメント会社もついていない。それでも五輪に行けたのは、20年間、ひたすら夢に向かって努力し続けたからだと思うんです。だからそれを最後まで続けてほしい。『やればできるんだ!』ということをみんなにも伝えてほしいと思っています」

 

と語るのは、町田樹(23)の母・弥生さんだ。昨年12月の全日本選手権で見事2位に輝き、ソチ五輪への出場切符をもぎ取った町田。苦難続きだったフィギュア人生のなかで町田がここまで来れたのは、母・弥生さんの献身的な支えがあればこそだろう。

 

ごくごく普通のサラリーマン家庭だったという町田家にあって、経済的な負担が大きいフィギュアスケートのための費用を捻出したのは弥生さんだった。一時は睡眠時間を削ってまで早朝と夜のパートを掛け持ちし、その間に町田のスケートリンクへの送り迎えもこなしていたという。そんな“二人三脚”の母の猛烈サポートは、町田が実家広島を出て大阪で暮らしている現在も続いていた。

 

「海外試合があるときは必ず私が車を運転して大阪まで食材を運び、出発前に朝ごはんを作ってあげるんです。メニューは縁起物のぶりの照り焼きと赤飯、そして樹が大好きな茶わん蒸しですね。餃子やひじきを作ったりもします。樹の部屋の押し入れには布団をしまうスペースがないので、車にはわざわざ布団も積んでいかなければならないんですよ(笑)。我が家はずっとそうしてきましたからね。ソチに出発する日も、そうするつもりですよ」

 

広島から大阪まで車で往復8時間。片道350キロの道のりを、月に2回も行き来し運んでくれた母の“勝負メシ”が町田のこれまでの奮闘を支えていたのだ。息子の雄姿を見届けるため、自らもソチに駆けつける予定だという弥生さん。母と二人三脚で悔し涙を流し、手を取り喜び合った20年の集大成が、すぐそこに迫っている。

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