「4年前のロンドン五輪のときは、怖いもの知らずでのびのびと走れましたが、リオ五輪に同じ気持ちで臨むことはできません。前回以上の成績を求められることは、覚悟しています」
そう語るのは、陸上男子100メートル代表の山縣亮太選手(24・セイコーホールディングス)だ。6月25日に行われた日本選手権では、ケンブリッジ飛鳥選手に僅差で敗れて2位だったが、実績、経験は折紙付だ。
「桐生(祥秀)選手など自分よりも年下の選手が増えてくるのは刺激になります。あらためて“負けられない”という思いが強くなります」
日本の短距離界を牽引してきた山縣選手だが、ロンドン五輪以降、今年6月に日本歴代5位となる自己ベストタイムを記録するまでは、ずっとケガに泣かされてきた。
「2回も肉離れをしていますし、腰の痛みには1年以上苦しめられました……。正直、’13年から’15年までの3年間は、一度も自分の走りに満足したことはありません」
精神的な支えとなったのは、山縣選手が現在も練習を続けている慶應義塾大学競走部で監督を務める、川合伸太郎さんだ。
「よく部長を集めては、家に招いてご飯をごちそうしてくれるんです。『ふだんは牛肉なんて食えないだろう』といって、ホットプレートで焼き肉をごちそうしてくれます。みんなかなりの量を食べるので、監督も大変だったはずです(笑)」
食事会の恒例は、山縣選手の走りをまとめたDVD上映会だ。
「監督が自ら編集してくれて『あの走りはよかった』と言ってくれるんですね。自分の走りができない時期、監督がすごく褒めてくれるのは自信につながりました。卒業後も、大学で気心の知れた仲間たちと練習できることに、非常に感謝しています」
こうした周囲のサポートを胸に、五輪という大舞台で“日本人初の9秒台”という記録に挑む。
「あまり意識すると、緊張で本来のパフォーマンスができなくなるので、大げさに考えないようにしてます」
ひょうひょうと語るが、その力強い視線は、より高みを見つめていた。