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(写真・AFLO)

メダルラッシュに沸いたリオ五輪の日本選手。その現場で取材を続けてきたスポーツニッポンの4人の記者たち――杉本亮輔記者(キャップ・体操など担当)、雨宮圭吾記者(柔道、レスリング担当)、宗野周介記者(水泳担当)倉世古洋平記者=卓球など担当)。彼らがメダリストたちの奮闘舞台裏の話は、まだまだ続く。

 

(7)萩野公介「ライバル瀬戸」への複雑胸中

 

競泳男子400メートル個人メドレーで日本人初の金メダリストになった萩野公介選手(21)。彼の背中を押したのは同種目で銅メダルを獲得した瀬戸大也選手(22)だった。

2人の初対戦は小学3年生のとき。以来「ライバル」として切磋琢磨してきた2人だが、荻野選手にとって瀬戸選手は「一緒にいたくないと思ったこともある」存在だった。

しかし、昨年の夏、選手生命をおびやかすような大けが(右ひじ骨折)をしたことで瀬戸選手への思いは一変。過酷なリハビリに取り組みながら萩野選手は自分と向き合い、ライバルとも真正面から向き合うようになった。

「大也がいなかったら僕はここにいない。そして、これからもっと続いていく」と宗野記者は綴っている。

2人の”熱き関係”は、この先も続いていくに違いない。

 

(8)柔道・海老沼の妻「夫婦で減量」の愛

 

「試合後1週間は外食や食べたいものをつくってあげたそうですが、それ以外はロリー控えめで、飽きないようにスープは中華風、韓国風など味付けを工夫。最初にサラダでおなかを満たして、スープや味噌汁、そして、おかず。減量中の夕食では、ごはんはひと口ぐらい。すごいなと思ったのは、奥さんも海老沼選手の食事の量に合わせていたそうです」(雨宮記者)

柔道男子66キロ級でロンドン五輪に続き2大会連続で銅メダルを獲得した海老沼匡(まさし)選手(26)にとって、最大の敵は10キロ近い減量だった。

そんな彼を陰で支えたのは妻の香菜さん(28=元女子柔道63キロ級日本代表)。2人は高校時代に柔道を通じて知り合い、ロンドン五輪後の’14年12月に結婚。

今回の銅メダルは、夫婦でかちとった”勲章”だった。

 

(9)惨敗の涙が生んだ金藤「悲願の金」

 

競泳女子200メートル平泳ぎで優勝した金藤理恵選手(27)は’08年、19歳で北京五輪に初出場して7位入賞。将来を嘱望されたが、’10年に腰にヘルニアを発症。’12年のロンドン五輪出場を逃してからは何度も「やめたい」と口にするようになった。

そんな彼女を一念発起させたのが、昨年の世界選手権での惨敗(6位)だった。

宗野記者によると、このとき彼女は「こんな情けないレースを、応援してくれる人が見る最後にしたくない」と涙で現役続行を決意したという。

そして、猛練習を積んでリオ五輪代表の座をゲット。年齢もあり、4年後の東京五輪には「競技者としてかかわることは考えられない」と語る金藤選手にとって、今回の金メダルは唯一無二、最初で最後の五輪メダルになった。

 

(10)太田雄貴「まさかの敗退は心の問題」

 

「敗因はフィジカル的なものではなく、本人は『五輪に対する覚悟が足りなかった。金メダルを取りたいと思わなければ取れない』と話していました。フェンシングの楽しさや、うまくなる喜びの追求より、五輪で頂点を極めるには勝利への渇望が必要なんですね」(杉本記者)

北京五輪・男子フルーレ個人で銀メダルを獲得。ロンドン五輪でも男子フルーレ団体で銀メダル(史上初)を獲得した太田雄貴選手(30=世界ランク2位)は、男子フルーレ個人の初戦(2回戦)で、まさかの敗退。試合後「現役引退」を表明した。

引退後は「彼は国際フェンシング連盟のアスリート委員長を務めており、今後もフェンシング界にかかわりつつ、ほかの道も模索しているようです」(杉本記者)

 

(11)内村航平へ銀選手の「神リスペクト」

 

「あなたは審判員に好かれているんじゃないですか?」

体操男子団体に続き個人総合でも、最終種目の鉄棒で大逆転して2大会連続の金メダル。2冠を達成した内村航平選手(27)が競技後、メダリストの記者会見に臨んだ際、ある記者が、内村選手に冒頭の質問を投げかけた。非礼とも思える質問に「それは、無駄な質問だ!」と反応したのが僅差で銀メダルに終わったオルグ・ベルニャエフ選手(22=ウクライナ)だった。

彼は続けて内村選手をほめたたえ「一緒に競技できたことはすばらしい経験だ」と喜びを口にし、内村選手も「次はオルグには絶対に勝てないと思う」とベルニャエフ選手の実力を称賛した

4年後、内村選手は31歳。気になる今後だが、杉本記者によると、鉄棒など種目別で東京五輪を狙うという。

 

(12)伊調馨「試合前は亡き母と会話を」

 

女子史上初の五輪4連覇(レスリング女子58級)を成し遂げた伊調馨選手(32)は試合後、観客席に歩み寄り、家族から渡された母の遺影を、万感の思いで抱きしめた。

伊調選手の母・トシさんは’14年11月28日、青森県八戸市の自宅で倒れて頭を打ち、脳挫傷で急逝した(享年65)。悲しみを乗り越えて、「死んでも勝つ!」というトシさんの教えを脳裏に刻み込んで臨んだリオ五輪。

決勝は、残りわずか5秒で大逆転――という薄氷の勝利だった。

試合後の記者会見。トシさんの話題になると伊調選手は「こんなにも天井を見上げたオリンピックはなかったです。必ず上を向いて、母としゃべってから試合に臨みました。最後もきっと母が助けてくれたと思います」

メダリスト以外にも「女性の活躍」が目についたリオ五輪。五輪を過去5大会取材し、今回もスポニチ取材陣の統括を行った首藤昌史記者は言う。

 

「活躍の背景を挙げるなら、一つは社会の変化。プロ契約も含め”受け皿”としての企業が増えて、卒業後も競技を続けることが可能になったことと、身体(からだ)をケアする技術が飛躍的に進歩したことで選手寿命が延びた。この二つが相まって才能を開花させることが可能になった。それと、東京・北区の『味の素ナショナルトレーニングセンター』には託児所が併設されて、子育てをしながら競技を続けることもできるようになった。こうした環境変化も女性活躍の背景でしょうね」

 

4年後の東京五輪。女子選手のさらなる活躍を期待したい――。

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