「我が家の教育方針は“きょうだい平等”です。だから、美帆が単独でメダルを取っても、姉妹でメダルをとるまでは喜べません。美帆には、1,000mの表彰セレモニーの会場で会いましたが、高揚感もなく次の競技にむけて淡々としていました」
と語るのは、スピードスケート女子1,500mで銀、1,000mで銅メダルを獲得した高木美帆(23)の父・愛徳さん(60)。美帆の2歳上の姉・菜那(25)は、今回の平昌五輪の女子5,000mに出場し、12位だった。さらに女子団体パシュートでは姉妹が日本代表の中心メンバーとしてそろって出場。娘たちへの精一杯の応援のせいか、少し荒れた声で愛徳さんが語る。
「8年前のバンクーバー五輪は、中学生だった美帆が代表入り。4年前のソチ五輪は菜那だけ出場。姉妹そろって五輪に出場するのは初めてです。これまでの五輪は、どちらかが出場できなかったから親としては複雑でした。今回は、何も考えずに、心の底から喜べましたし、思い切って声援を送ることができました」
スケートが盛んな北海道十勝地方・幕別町に生まれ育った菜那と美帆の姉妹は、小さいときから切磋琢磨してきた。
「スケートだけでなく、サッカーやダンスなど、菜那がやることはすべて美帆もはじめます。でも美帆は器用で運動神経がいいから、どれも姉を追い越してしまう。それが悔しくて、菜那は夢中に練習していました」(愛徳さん)
2人の恩師で、帯広南商業高校の東出俊一氏が語る。
「中学生の美帆が10年のバンクーバー五輪の代表になって、五輪選手に支給されるブレザーやウェアが自宅に届いたとき、菜那は悔しくて”全部燃やしてやろう”と思ったそうです。また応援にいったときも、心のなかで“転べ、転べ”と思っていたと。そんな嫉妬が菜那の原動力。美帆は感情を表に出さないタイプですが、14年のソチ五輪の代表から落選した瞬間、選出されて大喜びしている姉をすごい顔で睨みつけていましたね。あの落選で、姉のように強い思いが必要だと感じたようです」
高校を卒業後は、菜那は実業団に入り、美帆は日本体育大学に進学。それぞれ長野と東京で暮らしていた。ところが14年からナショナルチームの一員として、長期間にわたって強化合宿をするようなってから姉妹に変化があらわれたという。
「久しぶりに姉妹で一緒にいる時間があって、お互いの強みも弱点も認め合うようになったようです。とくに美帆は姉の影響なのか、今回の1,500mで銀メダルをとったあとにも“輝く景色を見てみたい”と、どん欲に感情を出すようになりました」(愛徳さん)
日本を熱くさせた姉妹だが、愛徳さんは淡々とこう語る。
「我が家ではスケートの話はしません。ふたりが競い合っているリンクとは違って、家のなかではリラックスさせたいですからね。だから、今回も、結果に関係なく“お疲れさま”というだけです」
実家に帰ってきた姉妹を、父は少しかすれた声で迎え入れるのだろう。