太平洋戦争中、出征する兵士たちの無事を祈って寄せ書きされた日章旗。兵士たちは父母やきょうだいたちの思いが込められた旗を、肌身離さず持って戦場に赴いたのだが……。終戦から68年たち、日本へ帰れない日の丸が海外で次々に処分されているという。
アメリカ人の歴史家、レックス・ジークさん(59)は言う。
「勝った連合国側の兵士たちは、戦場で記念品になるものを探しました。彼らにいちばん人気だったのが”寄せ書きされた日の丸”でした。アメリカ、カナダ、イギリス……。膨大な数の日の丸が、彼らの故郷に持ち帰られました。切手のように収集家によって売買もされています。しかし、持ち帰った兵士たちもどんどん亡くなり、日の丸は残された家族によって次々に処分されつつあるのです」
レックスさんは現在、日本人の妻・敬子さん(44)といっしょに、海外の日章旗の返還に尽力している。この活動のきっかけは、敬子さんとの結婚だった。実は5年前、敬子さんの祖父が残した日の丸が、62年ぶりで奇跡的に日本へ帰ってきたのだ。祖父はビルマ(現ミャンマー)で戦死したが、遺骨どころか遺品も戻らなかったという。
「祖父の日の丸を所有していたのは、カナダ人の収集家でした。彼は『自分が死んだら、日の丸を遺族に戻してほしい』と遺言を残していたのです。その息子さんが仕事で日本に立ち寄った際、宿泊したホテルのマネージャーに事情を話し、旗を託したそうです」(敬子さん)
敬子さんの母は長い間無言で自分の父が残した日の丸を見つめ「やっと、おじいちゃんが家に帰ってきはったんやなぁ。みんなに会いに帰ってきはったんよ……」とつぶやき、目は涙で潤んでいた。
「日本に帰りたいと強く願い続けていた祖父の魂が、長い年月をかけて、いろいろな国や人を経由して、最後に家族のところに帰ってこられたんだ、と」(敬子さん)
その後、敬子さんはレックさんと結婚。このエピソードを聞いたレックスさんは”日の丸返還活動”を始めたのだという。
「推測になりますが”日本に帰れない”日の丸は数万枚以上になると思います。いまだに故郷を離れてさまよっている日の丸が遺族の元に戻れば、戦死した兵士の魂も救われることでしょう。日の丸が大切なものであることを理解すれば、返還に応じる所持者も多いと思います。そのためにはまず、日本人が返還を求める声を上げなければいけないのです」(レックスさん)