東京・銀座や赤坂、博多や北九州・小倉などの一等地に30軒以上のビルを所有する『丸源ビル』のオーナー・川本源司郎さん(81)。繁華街で『源』を丸で囲んだロゴを目にした人も多いはず。その総資産は2千億円、美術コレクションは100億円以上、ハワイの別荘は100億円、衣装代は年間2千500万円だ。

 

不動産投資を次々に成功させ、最盛期には60棟のビル、国内外合わせて6千戸もの物件を扱い、さらにバブル崩壊の影響もほとんど受けることはなかった。『2千億円の資産』『銀座のビル王』『日本一現金を持つ男』とも称される川本さんだが、独身で、15年ほど前から資産の整理も考えているという。今年3月、28億円の所得隠しによる8億円の脱税容疑での、突然の逮捕は記憶に新しい。

 

「実は1年ほど前から、国税と話を進めていたんです。私は脱税はしていない。それを知ってもらうためにも、税務署には数年に1度は調査に入ってください。そうお願いしていたほどでした。保釈金と称した“身代金”など合計23億円も支払い済みです。現在はそれを取り返すために裁判をします」

 

川本さんは’32年生まれ。実家は小倉の呉服商で、商売としては大きな物ではなかったが、父親はなにかと地元の相談事を引き受けていた人物だった。大転機が訪れたのは、慶應大学に進み、学校にも行かずアルバイトに夢中になっていたとき。これが隠れた商才を目覚めさせることになる。

 

「知り合った台湾人が、外国人なので信用を得られずに海産物の取引ができずにいた。それで日本人である私が間に入って品物を売る。このとき、親の人脈を利用して何百万円も儲けることができたんですよ。いい加減に4年間大学に通うよりも“実社会大学”を出たほうが知恵もつくし、差も出ると、母も勧めてくれたんです。いつも私に、自立心をうながしてくれました」

 

大学をやめることに反対した父親を母親が説得。川本さんはどんどんビジネスにのめり込んでいった。その先で出合ったのが不動産投資。25歳のときだった。国の主導によって、全国に鉄筋コンクリートの賃貸物件を建てる方針が打ち出されていた。川本さんのこだわりは一等地に建てたこと。小倉の繁華街の中空に連なる丸源のネオン文字が格好の広告塔となった。すぐに東京へも進出して成功を続けた。

 

やがて’80年代後半となり、日本は空前のバブル景気に。しかし、みんながバブルに踊らされるなか、川本さんは自らの感覚を頼りに、バブルに狂乱する国内に見切りをつけ、たまたま観光で訪れたハワイに目を向けた。そして、わずか3カ月のうちにハワイで280件の物件を200億円近くのキャッシュで購入。続いてアメリカ本土にも進出し、さらなる躍進を遂げる。

 

「成功には、勘違いするほどの自己暗示が必要なんです。そして、自分のセンスを信じること。大仕掛けをしても、一人でやっているからブレなかった。私は今も幼稚で未熟な部分を持ったままですが、わがままだからこそ、自分を信じることができたんです」

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