福岡県北九州市で、ホームレスを経験した男女による『一座』が誕生した。彼らがステージで子供たちに訴えるのは、命の大切さ。辛い野宿生活を乗り越えてきたからこそ、腹の底から『生きろ!』というメッセージを伝えることができる。そう考える彼らが活動を開始した理由は、自分たち自身が人に助けられ、生きる希望を見いだすことができたからだったーー。
『生笑(いきわら)一座』は、’13年の夏に結成されたばかり。ホームレスの経験者たちが大勢の前でその過去を明かし、当時の生活を語るという公演はインパクトがある。一座の生みの親で、ホームレスや生活困窮者の自立を支援するNPO法人『北九州ホームレス支援機構(以下、支援機構)』理事長の奥田知志さんは、次のように語る。
「生きるか死ぬかを味わってきたホームレスだからこそ、子供たちに説得力をもって伝えられることがある」
いじめなどで子供が「助けて」も言えずに死んでしまう、現代社会。一座の目的は、人生のどん底から立ち直る体験をした当事者が子供たちに直接語りかけ、「『助けて』と言っていいんだよ、死んではいけない」と伝えることだ。
8月17日、福岡県篠栗町で行われた公演後には、中高生を含む約60人の聴衆から「家を失っても明るく生きている一座の方々を見て、自分もあきらめずにがんばろうと思った」「ふだん、私たちは家や家族があるのを当たり前にしているけど、話を聞いて改めてその大切さを知った」などの感想が寄せられた。
一座のメッセージは、確実に子供たちに伝わっているようだ。一座のリーダー的存在で、路上生活歴11年の過去を持つ西原宣幸さん(64)はこう話す。
「生きていても価値がないと思っていた者が、こうして生きて、みんなの前でしゃべっています。みんなも勇気を出して『助けて』と言ってみてください。きっと生きることが楽しくなる日がきます」
『生笑一座』という名は、「生きてさえいれば、いつか笑える日がくる」という言葉からつけられた。これはもともと、一座の座長でもある奥田さんが東日本大震災の支援に行った際、ある被災者夫婦から「大切にしている」と聞かされた言葉だった。
「支援物資に添えられていた手紙に、『生きていれば、きっと笑える時がくる』と書かれていました。その夫婦は手紙を見せながら、涙ながらにこう言われました。『私たちは津波ですべてを失いました。でも、今はこれで生かされているんです』と。あの極限状況で人を支えていたのは『あなたのことを心配しているよ』という人からの言葉だったんです」(奥田さん・以下同)
それからも支援物資を送り続けていた奥田さんだったが、あるとき、夫婦から支援を断りたいとの話があった。それは、「本当に感謝しているけれど、ただ支援してもらうだけで、何のお返しもできないのは、つらい」という理由からだった。
「まさに、私がやってきたホームレス支援でも起こっていることでした。助ける側はいい気分で『どうぞ』というけれど、助けられる側は『ありがたいけど、つらい』となる。人間って、ただ助けられるだけでは、元気になれないんです。誰かのために何かをしようとがんばるとき、人は本当に元気になっていくんです」