オリンピック開催に沸く東京。しかしその裏で、都営アパートの住民たちが移転せざるをえない事態になっている。
「昨年8月、東京都の担当者から『国立競技場の建て替えに伴う、立退き移転に関する住民説明会をやりたい』と突然、言われました。事前に相談もなく、いきなり移転ありきの説明会だったので驚きました。都による住民の説明会は1回のみ。その後、都の担当者と私や町会の役員らが何回も話し合いをしましたが、聞き入れてくれませんね」
こう語るのは、’63年から都営霞ヶ丘アパート(東京都新宿区)に住む、井上準一さん(68)。長年、霞ヶ丘町会長を務めている。井上さんによると、現在霞ヶ丘アパートには、約180世帯が住んでおり、住人の7割が60歳を超えているそうだ。昨年の移転決定を受けた後、約40世帯が引っ越したという。もともとは300世帯以上が住んでいたが、ここ10年近くは、都が新たな入居者の募集はしていない。
なぜ住人たちが移転をしなければならないのか。それは、新国立競技場の大きさが原因だ。敷地面積は現在の7万2千平方メートルから11万3千平方メートルに拡張。計画では、競技場に隣接する日本青年館を取り壊すほか、近くの明治公園(都立)も新競技場の敷地となる。明治公園を再配置するための場所として、霞ヶ丘アパートの敷地が公園の候補地になったわけだ。
この計画案は、国立競技場を運営する日本スポーツ振興センター(JSC)が企画提案したもので、最終的に東京都が了承して決定された。’20年の東京オリンピック開催が正式に決まり、そのメーン会場として、’19年内の完成を目指してプロジェクトが動き出している。ただし企画の段階では、JSCは霞ヶ丘アパートの住人との事前交渉は行っていなかった。立退き移転が決まってから、住人たちはその事実を初めて知ったというわけだ。住人たちが納得いかないのも無理はない。
このアパートの最高齢の住人、91歳で一人暮らしをしている川部敏子さんはこう言う。
「オリンピックに反対はしませんが、素直に喜ぶことはできません。住む場所を変えられてしまうわけですからね。毎日、ご近所の方々と交流することが、いちばんの心の支え。仕方ないとは思いますが、できれば考え直してほしいですね。正直な気持ちとしては、ここで一生を終えたい。この歳になって、住み慣れた場所を離れるのは本当につらいですから」
JSCは「近隣の住人に対して、事前協議をやるべきだったというご意見を、真摯に受け止めております」(新国立競技場設置本部総務部)という。東京都も「まとまった人数で同じ場所に移転していただくなど、住人のみなさんからの要望をできるだけ実現できるよう努力してまいります」(都市整備局都営住宅経営部)とのこと。
東京オリンピック開催決定で、日本中が歓喜した。しかし、その陰で、長年、住み慣れた場所を追われる高齢者がいることも忘れてはならない。