「’12年に妊産婦のための産後ケアセンターを千葉県に作る計画があったんです。でも、福島県の反対でつぶされました。県は、子供の健康を守るより、県民を流出させないことのほうが大事なんです」

 

こんな告発メールを送ってきたのは、3歳の子供と2人で福島市から東京都に自主避難中の女性菊池のぞみさん(仮名・40)だ。事故当時妊娠3カ月。夫と相談して、’11年3月下旬に横浜市の友人宅に身を寄せた。妊娠7カ月に入ったころ、持病の腰痛が悪化。不安を抱えた彼女を救ったのが「東京里帰りプロジェクト」だった。

 

それは東京都助産師会が中心となり、被災3県の妊産婦の出産を東京で支援するというもの。発起人は、中野区の松が丘助産院院長で、東京都助産師会副会長の宗祥子さん(61)。菊池さんは宗さんのもとで無事第1子を出産した。菊池さんが告発した「福島県に握りつぶされた産後ケアセンター」は、宗さんが企画していたものだ。どんな施設を作りたかったのか、宗さんは言う。

 

「被ばくの不安を抱えている福島の妊産婦が、安心して産後ケアを受けられる保養施設を作りたかったんです。それに、母子で避難している方々が2人目、3人目の出産をするときにも支援が必要ですから」

 

「東京里帰りプロジェクト」は、震災から1年間という期限付きだったため、宗さんは終了前から「産後ケアセンター」をつくる準備を始めていた。ちょうどそのころ、産油国のカタールが、被災地の子供たちに寄与する事業に資金援助する「カタールフレンド基金」を行っていることを知る。しかし……。

 

「応募には被災自治体の推薦が必須だったので、福島県の福祉部児童家庭課の女性職員と何度もやりとりしました。彼女は、『こういう施設は必要だから、必ず推薦はもらえますよ』と意気込んでいたんです。まさか最後の最後でボツになるなんて」(宗さん)

 

最終の決裁を得るために、福島県の復興・総合計画課に書類が回ったとたん「推薦はできない」と言われたという。あらためて、福島県の復興・総合計画課の担当者に真意を確認した。

 

「県外に産後ケアセンターをつくることで、福島減全体が安心して子育てできる環境ではないという風評被害を助長してしまうおそれがあるため、推薦できなかったんです」

 

一方で担当者は、妊産婦が被ばくの影響を受けやすいことは認めたうえで、「今のところ妊産婦向けの施策はありません」とも……。福島県は人口流出を防ぎたいなら、まず母親が安心して出産・子育てができる環境を整えるべきではないだろうか。

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