「人生1度しかない。どんな偉い人でも1回きりしかない。だったら自分で世界を見てみて、信じる道を見つけて進んでみよう。周りにあることは参考にはなるかもしれないけど、無菌状態では強い人間は育たない。高校、大学時代、自分にないもの、自分ができないことにチャレンジして失敗したら落ち込んで一時的に病気みたいになるかもしれないけれど、そういう経験をして人間は少しずつ大きくなれる」
熱く語るのは鹿児島県出身で物理学博士号を持ち、新進気鋭の社会起業家でもある岡本尚也さん(30)。彼は’14年7月に、多くのノーベル賞受賞者を輩出するイギリス・ケンブリッジ大学所属の物理学研究所で、「スピンホール効果」の電気制御に世界で初めて成功、世界的権威の英国の雑誌『ネイチャーマテリアルズ』誌(’14年9月号)に論文が掲載された。この成果はコンピュータのメモリー容量を飛躍的にアップさせる可能性を開く、画期的なものだった。同年12月、一時帰国した岡本さんは奄美大島、鹿児島県立大島高校の1〜2年生、約470人を前に語っていた。
現在、岡本さんは、オックスフォード大学に移り、近代日本の研究、特に教育社会学を研究している。岡本さんは「生まれ育った鹿児島県を世界とつなぎ、教育で再生させたい」という夢がある。そのために高校生を中心に、全国から講演依頼も受けている。
現代の日本が抱えている問題を解決するには、これまでの人類の英知を集結させなければ、できないという。だからこそ学科も大事だが、より広く勉強を。岡本さんもそうして学んできた。「中学・高校時代はキャプテンとして部活のバレーボールに熱中。それでも集中して勉強した」。
大阪大学を受験。模試では合格圏だったのに、結果は不合格。「絶対はないということも学んだ。やりなおせばいい。それができるありがたさも知った」。
落ち込むけれど、すぐに復活する。マイナスをパワーに換える才があるようだ。勉強を再開。1浪して、慶応大学理工学部に合格して上京。「東京での生活は鹿児島での雰囲気とはガラッと変わった」。明るく、自由な校風が岡本さんに合っていた。
担当教授は齊藤英治教授。当時慶応の講師で、その後、37歳で東北大学教授になり、「逆スピンホール効果」を最初に発見した世界的な学者だ。岡本さんの人生に大きな影響を与えた。
「彼を私のゼミに入れたのは、今後どう化けていくのか読めないところに興味があったから。ぼくはほかと違った部分を持っている人が好きで、そういう人を育てたいと思っていた」
と当時を振り返る齊藤教授も自身で認める「変わり者」だった。ミュージシャン志望だったが、偏差値30から一気に勉強して、東京大学に合格した。齊藤教授のもとで伸び伸びと研究を続けようと思っていた矢先、岡本さんは大きなミスをした。大学院修士の入試の際、出願書類を1枚出し忘れたのだ。「半年後まで修士の試験はうけられない」と教授から言明された。
「先が見えない半年があることがうれしかった」という岡本さんは、齊藤教授に尋ねた。「どうせ半年あるんだったら、その時間を有効に使う方法はないですか?」。教授はケンブリッジ行きを進めた。「先の見えないときにこそ、行動した方がいい」とケンブリッジに短期留学。半年後、帰国し無事慶応の大学院修士課程に進学、齊藤先生の下、博士号を取得した。
’11年、奨学金を得てケンブリッジ大学物理学部博士課程に入学。「ケンブリッジに行ってまもなく、彼の話に勢いが出てきましたし、何かつかんだのかもしれないなあと思いましたね」と齊藤教授は言う。
留学を通じて、岡本さんはいかに自分が恵まれているかに感謝する。「日本は経済的に豊かで、便利で、安全で、公の教育が行き届いていて国際社会では稀有な国であると、改めて気づかされたのです」
多額の奨学金を得た責任もある。日本の社会に何か還元できないかと模索していた。そんなころ、「科学の素晴らしさを知る」SSH(スーパーサイエンスハイスクール)の取り組みで、ケンブリッジを訪れた日本の高校生との交流が始まった。日本の高校生にはグローバルに活躍する素質がある若者がたくさんいる。
「若者同士を結びつける役目が必要ではないか。東京だろうが鹿児島だろうが、能力は変わらない。自分の体験を通じて、地方の高校生にも、海外に出るという選択肢が、決して特別なものではないことを伝えればいいのではないか。これからは、イギリスで学んだ経験を生かして、生まれ故郷の鹿児島から社会に貢献していこう」
今年4月、岡本さんは「地方と世界を結ぶ人材を育てる」NPO法人「グローバルアカデミー」(共同代表・田坂真之介)を発足させた。
「教育と社会課題解決の半々でやっていきたい。ここで起業できる人間をどんどん育てていきたい。社会の諸問題を解決するのもそこから」
物理学者として世界的にも認められた岡本さんは、研究者という経験を生かし、教育の力で社会を変えたいという大きな夢を抱いている。今年の夏、岡本さんはイギリスから帰国し、地元・鹿児島から新たな流れをつくっていく。