安倍首相の「戦後70年談話」が話題だが、国民一人一人に“私だけの70年談話”があるはず。そこで著名人に語ってもらった「この人生を歩んできた私だからおくるメッセージ」。
映画『火垂るの墓』をはじめ数多くの名作を手掛けてきた、映画監督の高畑勲さん(79)は「軍国少年ではなかった」という記憶から、訥々と振り返る。
1945年6月の岡山大空襲のとき、私は国民学校4年生で9歳でした。市内の中心部がほぼ全焼し、1千737人が亡くなった。私は姉と2人で逃げましたが、焼夷弾で一面火の海になり、途中、爆弾の破片が腰に刺さって姉は失神した。必死に揺り起こし、やっとのことで旭川に辿り着きました。裸足で逃げた私も足の裏をけがし、ひどく化膿した。空襲体験は一生のうちでいちばん大きな出来事です。
父は中学校の校長をしていましたが、家より職務が大事。7人きょうだいの末っ子の私に影響を与えたのは母で、宮沢賢治なども読んでいました。そのおかげや、幼稚だったせいもあって、私は軍国少年にはなりきらないですんだのです。学校長が御真影を奉安殿から講堂に移し、最敬礼する姿も「裸の王様」ではないですが、どこか滑稽だと思いました。
戦後、物質的には何もなかったけれど、焼け跡の青空教室は明るく、新しい民主主義教育は先生も生徒もいわば対等、自由で楽しかった。平和憲法も、戦争しない国になったことが新鮮でした。
物事は本質を大づかみにとらえて、単純に割り切ることが大事だと私は考えます。憲法9条に関しても同じです。「交戦権の否定」に関して日本はこれまでずっと9条に縛られて「戦争のできない国」だった。それがいいんです。その前提があると、相手国に信頼してもらい、賢くしたたかな外交で国際問題に対処していくしかない。その決断こそが本来の日本のとるべき道だと私は思います。
憲法も変えないで、「戦争のできない国」を、アメリカと一緒になって「戦争のできる国」にする、この180度転換こそが、今問題になっている安保法制の本質なんです。細かいことではなく、大づかみにとらえればそういうことになる。
いくら細かく限定条件をつけて歯止めをかけると政府が言っても、私はそれを信じません。なぜなら、私たち日本国民には伝統的に「ズルズル体質」があるから。それは、開戦・敗戦からバブル崩壊や新国立問題の今に至るまで70年以上何も変わっていません。一度流れが決まれば一蓮托生で同じ方向に向かって破綻するまで止められない。しかも誰も責任をとらない。これに根本的な歯止めをかけ続けるのが憲法9条という私たちが持つ素晴らしい縛りなのです。