5月16日の夜、「眞子さまご婚約」のニュースが全国を駆け巡った。一躍“時の人”となったお相手は、国際基督教大学で眞子さまの同級生だった横浜育ちの小室圭さん(25)だ。圭さんが幼いころに、バイオリンを教えていた山内純子さん(66)は次のように話す。
「圭くんは私が教室を開いて最初の生徒でした。当時はまだ3歳。その年齢ですとジッとしていられないお子さんが多いのですが、圭くんはお母さんに注意されることもない“おりこうさん”でした。横浜市役所にお勤めだったお父さんが、レッスンや発表会に足を運ばれることもあり、とてもステキなご家族だと思っていました」
温かい愛情に満ちた小室家の生活が一変したのは、圭さんが10歳、小学5年生のときだった。父親が急逝--。
「通勤中に倒れられ亡くなってしまったと……。お2人(圭さんと母・佳代さん)とも大変なショックを受けられて。まもなくバイオリンのレッスンもやめてしまわれました」(山内さん)
圭さんの自宅マンションは、東急東横線沿線。父親が存命中の’94年に新築を購入している。現在は、祖父、母親、圭さんの3人暮らしだ。昔から家族を知る60代の主婦はこう語る。
「お父さまが突然死されて、お母さまはケーキ屋さんで働き始めました。私立の音楽学校は学費も高いでしょうしね。お母さまから直接、弱音を聞いたことはありませんが、お金のことでは苦労したはず。そんな姿を見ていた圭くんは、いつか恩返ししたいという思いを抱いているでしょうね」
お母さんは今も東京都目黒区のケーキ店で働いている。圭さんは国立市の音楽大学の付属小学校卒業後、中学、高校と東京都品川区の「カナディアン・インターナショナルスクール」に通った。幼稚園(年間学費約200万円)から高校(年間学費約300万円)まで、カナダのカリキュラムで一貫教育を行っている。同校の赤羽典子事務長(67)から、入学時の面接での印象を聞くことができた。
「3月に面接したのですが、小学生にしてはハキハキと受け答えできて、お母さまも教育熱心でした。ただ私どものスクールは英語で授業を行っておりますので、日常的な会話ができないと理解できないのです。日本の小学校を卒業したばかりの圭くんは、そのレベルではありませんでした。ですから、9月の本入学前の段階で、英語の強化クラスに入っていただく必要がありましたし、毎日出されるレポートやサマースクールも……。それを見事にクリアして英語力を身につけたわけですから、本人だけではなくサポートするお母さまにも相当の覚悟がおありだったのでしょう」(赤羽事務長)
毎年、制作される全学年共通のYear Bookには、圭さんはハロウィーンパーティでメークした姿や、チェス大会の成績、生徒会での活躍ぶりなどさまざま思い出が載っていた。そんな充実した学園生活を送りながら、圭さんは高校時代からアルバイトも。その雇い主が、海老名市の居酒屋「のん処」の店主・五井憲治さん(70)。バイトは以前、五井さんが経営していた「ビストロ・ファミーユ」という仏風居酒屋だ。五井さんは当時のことをこう振り返る。
「お母さんと店によく来ていたから、僕が『よかったら手伝ってよ』って言ったかもしれない。それで、高2か高3のときから大学2年まで、主に週末働いてもらいました。とにかく親孝行。お父さんが亡くなったとき、小学生の圭くんが『ずっとそばにいるよ』って慰めてくれたっていうのは、お母さんに聞いていたんです。すごいでしょ。で、僕は圭くんが高3のとき、本人にも聞いたんです。『うちはお父さんいないし、僕がお母さんを守っていくんです。僕がしっかりしなきゃいけないんです』ってね。ジーンときましたよ」(五井さん)
国際基督教大学に進学した圭さんは、’10年、神奈川県藤沢市観光協会が主催するコンテストで「湘南江の島 海の王子」に選ばれ、同市のPR活動を行った、同年の「海の女王」に選ばれて一緒に活動した藤沢市職員の並河理奈さん(26)は、圭さんを評して「爽やかでかっこいい、本当の王子さまみたいな人です」と話す。
眞子さまが“ずっとこの人のそばに”と決めた男性は、17日、日本中が見守るテレビカメラの前で、「今日の朝、電話で『行ってきます』『行ってらっしゃい』と軽い会話をさせていただきました」と語った。いつも自然体な“王子さま”だった--。