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「国民に寄り添いたい」とのお気持ちから、被災地など頻繁に遠方まで足を運んでおられる美智子さま。行く先々での慈愛あふれるお声がけに、感動の涙を流す人も多いという。それは、まさに“奇跡を起こすおことば”−−。実際に美智子さまとお会いしたことで「人生が変わった」という方の証言をご紹介。

 

東日本大震災からおよそ1カ月半後の’11年4月27日。天皇皇后両陛下は、約270人が避難生活を送っていた宮城野体育館(仙台市)を訪問された。このとき、美智子さまが被災者の女性を勇気づけられているご様子を切り取った1枚の写真が、全国に配信された。

 

現在、仙台駅から車で10分ほどの復興住宅で、夫婦2人で生活している佐藤美紀子さん(68)が“あのときの女性”だ。宮城野体育館での生活を余儀なくされた美紀子さんは、美智子さまが訪問される日の朝、自宅の跡地を見に行った。

 

「周囲は泥だらけで、所々鉄骨がむき出しになっているのに、なぜかスイセンが黄色い花を咲かせていました」

 

ちょうど10本あったスイセンを避難所に持ち帰って、ペットボトルを半分に切った花瓶に生けた。

 

「何もないがれきの中で、けなげに咲いていて……。『本当に強いね』と主人と話しているうちに、『美智子さまに、それを差し上げたらどうか』ということになりました」

 

当日のことは、頭が真っ白になり、ほとんど記憶にない。美紀子さんが、唯一覚えているのが、『このスイセンのように、私たちも負けないで頑張ります』と気持ちを伝えたことだ。

 

「お花を差し出すと、美智子さまはやさしく『頂戴できるの?』と、うれしそうに受け取ってくださったのです」

 

後日、美紀子さんは取材記者から、こんなことも聞いた。

 

「美智子さまは東京にお戻りになる自衛隊機の中でも、スイセンを大事に両手で握りしめていらしたそうです」

 

美智子さまは、スイセンの花とともに、頑張って生きようとする、美紀子さんの“強い思い”も受けとめておられたのだろう。

 

「命以外すべてを失いましたが、美智子さまからお言葉をいただき、私たち夫婦は一生の財産を得ることができました」

 

震災のあと、佐藤さん夫婦に立て続けにがんが見つかった。しかし、美紀子さんは前向きだ。

 

「どんなにつらいときでも、両陛下が近くにいてくださるのを感じます。勝手にですけどね(笑)。だから、がんなんかに負けていられません」

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