「国民に寄り添いたい」とのお気持ちから、被災地など頻繁に遠方まで足を運んでおられる美智子さま。行く先々での慈愛あふれるお声がけに、感動の涙を流す人も多いという。それは、まさに“奇跡を起こすおことば”−−。実際に美智子さまとお会いしたことで「人生が変わった」という方の証言をご紹介。
「正倉院で文化財の復元の仕事をしていた私に、美智子さまは物心の両面で大きな力を与えてくださいました」
こう語るのは、昭和天皇実録の製作を手がける宮内庁書陵部から、’92年に同庁正倉院事務所長に異動した米田雄介さん(79)だ。
「当時、正倉院の大きな事業として、保管されている宝物の復元がありました。私は奈良時代の貴族が、どのような衣服を身に着けていたのか興味を持ち、形をまねるだけではなく、材質にこだわって復元しようと調査したところ、『小石丸』という古代種の蚕から取れる絹糸に行き当たりました」
希少な小石丸は、皇居内の紅葉山御養蚕所で保存されていることがわかった。米田さんは上京し、同僚の宮内庁職員や、侍従次長に相談。簡単に譲っていただくことは難しいと覚悟していたが、そのわずか2〜3日後、侍従から『お譲りするそうです。どのくらい必要なのですか?』と電話が入った。
「あまりの早さに驚きました。美智子さまは、日本の伝統を守るため、快諾されたのです。身の引き締まる思いでした」
復元作業に入って約3年後。180センチ×56.4センチの織物を作り、日本茜という植物で染めあげた。米田さんはそれを手に、進捗状況の報告のため、御所を訪れた。
「染める回数が増すほど、色合いが濃くなります。その変化がわかる色見本も一緒にお持ちしてご説明しました。じつはその見本は持ち帰るつもりでいたのですが、美智子さまは、御養蚕所にいる人たちの励みにもなるのでお見せしたいと話されたので、そのままお渡ししました」
小石丸の絹はなめらかな手触りで、上質な光沢を放つ。輸入品よりも細く、格段に軽い。織物を手にされたときの美智子さまのお言葉は、今も米田さんの胸に刻まれている。
「『陛下が即位されたとき十二単を着ましたが、あれはすごく重いんですよ。ぜひこれで着物を作っていただきたいですね』と、ユーモアたっぷりに、復元品を褒めていただいたことが忘れられません。さすがに着物を作るまでの分量は採取できませんでしたが、その後、小石丸の絹を使った綾織、錦織の復元品にも成功。全国の展覧会で多くの人の目に触れることとなったのです」