「国民に寄り添いたい」とのお気持ちから、被災地など頻繁に遠方まで足を運んでおられる美智子さま。行く先々での慈愛あふれるお声がけに、感動の涙を流す人も多いという。それは、まさに“奇跡を起こすおことば”−−。実際に美智子さまとお会いしたことで「人生が変わった」という方の証言をご紹介。
毎年、沖縄の小中学生から選ばれた豆記者が、国会議事堂などの本土取材を通して、本土と沖縄の青少年親善交流を推進する沖縄豆記者交歓会。代表の山本和昭さん(85)が、美智子さまと、沖縄の子どもたちのほほ笑ましい交流に目を細める。
「豆記者交歓会を通じて、天皇皇后両陛下にお目にかかるようになって、かれこれ50年以上です。初めて両陛下にお目にかかる子どもたちは、みんな緊張していますが、両陛下はそうした子どもたちをリラックスさせようと『(東京で)どんなところにいらっしゃったのですか』『どこが面白かったですか』と、一人一人の子どもたちに、やさしくお声をかけられます」
ある子どもが、持っていたジュースをこぼしてしまったこともあったという。
「そのとき美智子さまは、ご自分のハンカチで、こぼしたジュースをさっとお拭きになりました。そんな優しいお姿を見て、子どもたちはすっかり美智子さまのことが大好きになりました」
豆記者の活動が広がると、本島ばかりでなく、宮古島や八重山諸島の参加者も増えていった。
「両陛下が訪問されるのは本島ばかりなので、先島の子どもたちは『ぜひ、私たちの島にもおいでください』とお話をし、お手紙を書きました。美智子さまは、そんな子どもたちの声を、しっかり受け止めてくださったのです。たしか3回目の沖縄ご訪問のあと、美智子さまが子どもたちに『先日、東南アジア訪問のときに、飛行機の針路を変えていただいて、空からあなたたちのいる島を見せていただいたのよ』とおっしゃったのです。美智子さまのお言葉に、小さな子どもたちも感動しておりました。両陛下の沖縄へのご訪問は10回にも及び、豆記者との交流も大切に育んでこられています。それは、太平洋戦争で唯一の地上戦の舞台となった歴史に対して、沖縄に特別な思いをお持ちだからなのだと思います」
沖縄の子どもたちに対する美智子さまの思いは、御歌にも込められている。
《いつの日か 訪ひませといふ 島の子らの 文はニライの 海を越え来し》
「じつは以前、昭和天皇の御製の碑の建設予定が、もろもろの反対で実現しなかったことがあります。それでも両陛下は、沖縄県民に寄り添ってくださいました。両陛下の思いが沖縄県人にも届いたのでしょう。天皇陛下の御製と、美智子さまのこの御歌の石碑が、沖縄県南城市の知念岬に建設されようとしています。両陛下の沖縄への思いを、永久に後世に伝えていきたいと思っております」